原田大二郎「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でテリーは天才だと思った (2/2ページ)

アサ芸プラス

たけちゃん主演の「哀しい気分でジョーク」という映画に出た時に小1時間話していたら(明治大学の)先輩後輩の関係だし、「あいつ、おもしろいから使ってくれ」って、たけちゃんが勧めてくれたというのは聞いたんですけどね。

テリー そうそう。

原田 僕も「徹子の部屋」に一度出た以外はバラエティーの仕事をするのは初めてで。まったくわけわかんなかったですから。

テリー そうなんですよ。スタジオには松方(弘樹)さんもいたじゃないですか。僕は最初、松方さんをどう使うかも悩んでたんです。そしたらそこに原田さんも来て、名前のある2人の役者さんをどう使ったらいいのかって。それで原田さんには学園ドラマをお願いすることにしたんですけど。

原田 「君たちはもう大丈夫だ」って言って、去っていくっていうね。

テリー あれは映画の「シェーン」とか「椿三十郎」のイメージがあったんです。あんな感じで若者を置き去りにしていくような青春ドラマができないかなって。あの頃、日本テレビも青春ドラマを放送していたし、素人を使った青春ドラマを作ってみたかったんですよ。

原田 あの頃、とにかく熱かったですよね。京都の比叡山に行った時、「ケーブルカーがあるから、あの屋根に上がろうよ」って。今だったら絶対許可出ないと思うけど、「いいですよ」って言ってくれて。ものを作りたいっていう情熱は今もあるけど、あの頃はものすごくあった。

テリー 原田さんに対する世間のイメージも、「元気が出るテレビ」でかなり変わりましたよね。

原田 あの頃の役者はインタビューを受けてもしゃべらないのが当たり前だったからね。(原田)芳雄でも中村敦夫さんでも、楽屋ではものすごいおしゃべりなのにインタビューになると、急に寡黙になる。

テリー 高倉健さんみたいなね。

原田 そうね。だから役者が普通にしゃべるようになったのは僕と兵ちゃん(石坂浩二)が走りじゃないですかね。でも、僕はもともとおもしろいことが好きだったから、ありがたかったですけどね。

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