日本史の重要キーワード「朝廷」って何?いつ廃止されたの?武家政権との関係史を紐解く (3/4ページ)

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権力争いに敗れ、政権を奪われた「朝廷」は滅ぼされることはなく、そのトップである「天皇」の地位もそのままに残されたのです。

それくらい、天皇の権威というものが絶対的だったのか、それとも武士たちは、年号の制定や官位の授与などという仕事は面倒臭いから朝廷に任せておこうと考えたのか、そこは分かりません。

とにかく、なぜか武家政権は、朝廷や天皇からそうした役割まで奪おうとはしませんでした。ここに朝廷と幕府の二重の統治システムが誕生し、その後も幕府は朝廷を重んじ、朝廷もまた、幕府の力を借りながら維持されていくことになります。

鎌倉に幕府が開かれてから、江戸幕府が倒れるまで政治の実権は武家の手中にあり、天皇が政権を握るチャンスはほとんどありませんでした。

例外は、第96代の後醍醐天皇が1333(元弘3)年に鎌倉幕府を倒して政権を取り戻した時です。後醍醐天皇は倒幕後、有名な「建武の新政」と呼ばれる天皇と公家を中心とした政治を始めようとしましたが、うまくいかずに武士の反発を招きました。

後醍醐天皇(Wikipediaより)

そして1335(建武2)年に足利尊氏が反乱を起こし、翌年に京で新しい天皇を即位させると、自分は征夷大将軍の地位を手に入れます。これが、日本史上唯一「朝廷」が2つ存在した南北朝時代の始まりでした。

南北朝時代が終わったのは、室町幕府の3代将軍・足利義満の時です。これ以降、武家政権は室町幕府から江戸幕府へと引き継がれ、最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還を行うまで続きました。

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