敵の銃弾が金玉袋を貫こうがなんのその!初代警視総監・川路利良の驚愕エピソード

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敵の銃弾が金玉袋を貫こうがなんのその!初代警視総監・川路利良の驚愕エピソード

世界の国々と比べても比較的、治安がいいとされている日本。

そんな日本の治安を支えている警察の創立に大きく貢献し、初代警視総監(大警視)となった人物をご存知でしょうか。

今回は、警察を創立した男「川路利良(かわじとしよし)」にまつわるエピソードなどについて紹介します

川路利良とは

川路利良(Wikipediaより)

川路利良は、薩摩出身の下級武士でした。

下級武士と言っても足軽に近かった利良ですが、漢学や真影流の剣術を熱心に学んでいたことで西郷隆盛に拾われます。

1864年の禁門の変において来島又兵衛を中心に暴れ回る長州藩により劣勢に立たされた薩摩藩。このとき機転を利かせた利良が来島を鉄砲で狙撃して討ち取り薩摩の勝利に大きく貢献しました。

また、1868年の戊辰戦争時には大隊長にまで出世し、優れた軍才を発揮して新政府軍を勝利へと導いたのです。

こうして、利良は薩摩藩内での地位を確立しました。

警察創立まで

明治維新後、利良は西郷に勧められ、町の警備を行う組織「邏卒(らそつ)」の総長に就任します。

留学でヨーロッパの警察制度を学び、帰国してからはフランスの警察制度を参考に、日本でも独自の警察制度確立に翻弄。

1871年に薩摩藩から3000人の邏卒を採用し、1874年には日本で初の警察組織を結成しました。

明治以前は各地方の藩が治安を維持していましたが、警察創立後からは交番や駐在所が全国に点在し、日本の治安を維持したのです。

利良の驚愕エピソード

下級武士から初代警視総監まで上り詰めたという話だけを聞けば聖人君主のように思える利良ですが、華々しい出世話とは無縁の驚愕エピソードを持つ人物でもあります。

称えられた金玉袋

戊辰戦争・磐城浅川の戦いのとき、敵の銃弾が利良の陰嚢(金玉袋)を貫いたことがありました。

恐怖や痛みを感じれば萎縮するはずの金玉袋が垂れ下がったままであったことから、薩摩藩兵に「川路のキンタマ」と称えられたという逸話があります。

海外でやらかした利良

利良がヨーロッパ視察のとき、電車に乗っていて便意を催したときの話も驚愕です。

外国の電車内でトイレが分からず、さらに外国語も話せなかった利良は、座席に新聞紙を敷いてその上に排泄。排泄した新聞紙をくるんで電車の窓から投げますが、運悪く他人に当たってしまったのです。

利良が排泄した新聞紙は警察に持ち込まれて検視されたそうで、のちにフランスの新聞に取り上げられています。

驚きエピソードをいくつも残した利良

驚きエピソードをいくつも残した川路利良。現在では、「日本警察の父」として称えられています。

そんな川路利良の活躍があって日本の治安が守られていると思うと、感慨深いような、可笑しいような不思議な気持ちになりますね。

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