【鎌倉殿の13人】源義経に「第3の女」現る?政略結婚で源氏に嫁いだ平家一門の娘・蕨姫のエピソード
正室の里(演:三浦透子。河越重頼の娘・郷御前)に続いて後に、愛妾となる静御前(演:石橋静河)との出逢いを果たした源義経(演:菅田将暉)。
早くも女のバトルが繰り広げられる予感しかしませんが、史実だと義経は更に「第3の女」を迎えています。
伝承によると、彼女の名前は蕨姫(わらびひめ)。本名は不詳、平家一門である平時忠(たいらの ときただ)の娘でした。
壇ノ浦で平家を滅ぼした義経の元に、なぜ平家の娘が嫁いだのでしょうか。今回はそんな蕨姫のエピソードを紹介したいと思います。
嫁き遅れていた先妻の娘蕨姫は保元3年(1158年『源平盛衰記』)長寛元年(1163年『平家物語』)に誕生したとされ、元暦2年(1185年)平家滅亡後に義経の元へ嫁ぎました。
父・平時忠は亡き平清盛(演:松平健)の義弟で、壇ノ浦で義経に捕らえられます。
「三種の神器を守り抜いた功績(※)に免じて、どうか命だけは助けてくれ……」
(※)神器の一種である八咫鏡(やたのかがみ)の封印を解こうとしていた源氏の兵たちを「不敬である」と追い払い、丁重に源氏方へ献上したのでした。
もし許してくれるなら、可愛い娘をプレゼント……とばかりに蕨姫を差し出した時忠ですが、この時彼女は『源平盛衰記』だと28歳、『平家物語』でも23歳。当時としてはちょっと?嫁き遅れ気味。
義経に差し出された蕨姫。果たして気に入って貰えるだろうか?(イメージ)
本当は現妻が生んだ18歳の娘盛りもいたのですが、そっちは大事にとっておく辺り、ちゃっかりした父親ですね。
……(前略)……「当腹の姫君の十八になり給ふを」
と申されけれども、大納言(時忠)それをばなほ悲しき事に覚して、先の腹の姫君の二十三になり給ふをぞ、判官には見せられける。(意訳:18歳の姫君を差し出すのはより悲しいので、先妻の生んだ23歳の姫君を義経に差し出した)
これも年こそ少しおとなしうおはしけれども、見目形美しう、心様優におはしければ、判官ありがたう思ひ奉つて、元の上(正室)、河越太郎重頼が娘(里。郷御前)もありしかども、これをば別の方、尋常にしつらうてもてなしけり。
(意訳:少し大人しい≒年がいっているけど、美人で気立てもいいので、義経は気に入った。正室もいるけど、彼女を側室として丁重に迎えたのだった)
※『平家物語』巻第十一「文の沙汰」より
いや、そんな事を言われても……普通に考えれば、平家一門の娘を身内に迎えたらどんなトラブルに見舞われるか、分かったもんじゃありません。
しかし、義経はこれを承諾。静のような愛妾ではなく、きちんと側室(別の方)として「尋常にしつらうてもてなし」つまり丁寧にお迎えしたのでした。
その判断は検非違使として京都の治安を守っていた義経が、永く検非違使を務めていた時忠の地位を継承し、将来鎌倉の兄・源頼朝(演:大泉洋)と対抗する基盤を固めるためとも考えられています。
「早く時忠を流し、行家を討て!」鎌倉からの催促に……この婚姻が功を奏したのか、時忠は死一等を減じられて流罪となりました。
「お陰様で、何とか命ばかりは助かり申した……」
5月20日に周防国への配流が決定。8月中旬には他の者たちが次々と流されていったのに対して、時忠と息子の平時実(ときざね)だけは義経の身内だからと9月になっても京都に留まっています。
当然、鎌倉の頼朝は義経に対して「さっさと時忠父子を流罪に処せ」と促すべく、梶原源太左衛門尉景季(演:柾木玲弥)や義勝房成尋(ぎしょうぼう じょうじん)らを使者に遣わしました。
文治元年九月小二日壬午。梶原源太左衛門尉景季。義勝房成尋等。爲使節上洛也。……(中略)……亦平家縁座之輩未赴配所事。若乍居蒙 勅免者不及子細。遂又可被下遣者。早可有御沙汰歟之由被申之。次稱御使。行向伊与守義經之亭。尋窺備前々司行家之在所。可誅戮其身之由相觸。而可見彼形勢之旨。被仰含景季云々。去五月廿日。前大納言時忠卿以下被下配流官苻畢。而于今在京之間。二品欝憤給之處。豫州爲件亞相聟。依思其好抑留之。加之引級備前々司行家。擬背關東之由。風聞之間如斯云々。
※『吾妻鏡』文治元年(1185年)9月2日条
「死一等を減じられたお身内とは申せ、かつて敵方であった謀叛人をいつまでも引きとどめておく事は、ご謀叛を疑われかねませぬ。近ごろは備前前司(前司は元の国司。行家)と結託して鎌倉にご謀叛との噂も聞きますれば、早急にご対処なさせませ!」
いくら頼朝の意に添わぬからと言って、罪なき叔父を討てるものか……間もなく義経は源行家(演:杉本哲太)にそそのかされて謀叛を起こすのですが、時忠は9月23日に能登国へと送られていきました。
時実はなおも留まって義経の謀叛に加勢しますが、間もなく捕らわれて鎌倉へ護送され、上総国へ送られたということです。
エピローグその後、義経は京都を追われて紆余曲折の末にかつて庇護してくれた奥州の藤原秀衡(演:田中泯)を頼るのですが、蕨姫の消息は不明。
義経と別ルートで脱出して道中で合流した里(郷御前)や、義経と道中で別れて捕らわれた静御前とは異なり、彼女は京都から出ていないものと推測されます。
時忠の妻や娘たちが京都に留まり続けたため、彼女もそこに身を寄せたのでしょう。
「九郎殿?あぁ、昔そんな方もいましたね……」母の元へ帰り、京都で暮らしたであろう蕨姫(イメージ)
父のため、かつての敵に嫁がされた蕨姫。恐らく義経に対しては愛情など感じていなかった(少なくとも郷御前や静御前のように、危険を冒してまで貞節をまっとうする覚悟はなかった)はず。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では里と静御前の衝突だけでもいっぱいいっぱいでしょうから、恐らくは割愛されるであろう蕨姫。
でも万が一登場するなら、いったい誰がキャスティングされて、どんなバトルが繰り広げられるのか……実に恐ろしく、そして注目ですね!
※参考文献:
元木泰雄『源義経』吉川弘文館、2007年1月 細川涼一『日本中世の社会と寺社』思文閣出版、2013年3月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan