追悼・上島竜兵さん「留置場で一晩過ごしたことも」国民に愛された…「爆笑伝説」一挙公開
ご遺体と2人きりにしてもらったとき、"バカだな”……とツッコんでやろうかなと思っていたけど、結局、お礼の言葉しか出なかった……」
親交が厚かった有吉弘行は、15日放送の自身のラジオ番組の冒頭、言葉を詰まらせながら、こう語った。
人気お笑いトリオ『ダチョウ倶楽部』の上島竜兵さんが、亡くなったのは5月11日のこと。享年61。
体を張ったリアクション芸と、愛嬌あるルックスで人気者だった上島さん。
「竜兵会と呼ばれる飲み会を通じて、有吉さん、土田晃之さん、劇団ひとりさんら、多くの後輩芸人の苦しい時代を支えたことでも知られています。テレビ局関係者にもファンが多く、誰からも愛された人でした」(業界関係者)
ニッポンのお茶の間1億人を笑わせ続けた、上島さんの爆笑秘録を一挙公開‼(文中=一部敬称略)
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兵庫県出身の上島さんは高校卒業後、役者を目指して上京するも、俳優養成所で寺門ジモンと出会い、お笑いの世界へ進んだ。
「面倒を見たのは、『コント赤信号』の渡辺正行さん。渡辺さんの紹介でリーダー(肥後克広)が合流し、ダチョウ倶楽部が結成されました」(芸能記者)
客前でコントを披露し始めたダチョウ倶楽部だが、ウケはイマイチだった。
「見かねた渡辺さんが、“俺たちの舞台を見て、練習しろ”と言ったんです」(前同)
言葉通り、舞台を見て感心した上島さんが、メンバーに、こう言ったという。「分かったろ。この通りコントしたらウケるんだよ」
以来、赤信号のネタを完コピして披露するようになったダチョウ倶楽部だが、「渡辺さんにバレて、“ちょっとはアレンジしろよな”と怒られたそうです」(前出の記者)
リアクション芸が代名詞になっているダチョウ倶楽部だが、若手時代は、お笑いライブやショーパブでコントの腕を磨く日々。そんな中、事件は起こった。
「舞台を終えたが、タクシー代は持っていない。その日、深夜の六本木から徒歩で帰宅途中の竜ちゃんは、警官から職質を受けたんだとか」(スポーツ紙記者)
■竜ちゃんのカバンから出てきたものとは…?
警官は、上島さんのくたびれたボストンバッグの中身を調べたという。
「そしたら古い雑誌が出てきた。警官が“おまえ、これで火をつけてんじゃないのか!”。すると、コントで使う巨大なローソクも見つかった。警官は、“やっぱり、放火魔だろ!”。続けて、小道具の時限爆弾が出てくると警官の顔色が変わり、無線で署に応援を入れたそうです」(前同)
最後に女王様のムチが見つかると、警官が青ざめて「おまえ、いったい、何者なんだ!」と叫んだという。
「結局、竜ちゃんは留置場で一晩、過ごすことになったそうです(笑)」(同)
苦しい下積み時代を経て、テレビに出演するようになったダチョウ倶楽部。過激な昭和のバラエティ番組では、上島さんらの体を張ったリアクション芸がウケにウケた。
「スカイダイビングのロケ中のこと。普通にダイブするんじゃなく、2組で飛んで、空中でパラシュートを交換して生還するという企画だったんです。今考えると、ヤバいですよね。
上島さんに挑戦してもらったんですが、恐怖のあまり空中で脱糞してしまって(笑)」(民放関係者)
ダチョウ倶楽部の人気は、ビートたけしがMCを務めた『お笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)シリーズで、全国区になっていく。
「奥様のひかるさんと新婚ホヤホヤだった時代。ひかるさんが『ウルトラクイズ』のロケを見学に来たんですよ。そのときの竜ちゃんがケッサクで……」(前同)
ダチョウ倶楽部の著書『FromD』(双葉社)から引用したい(以下同)。
〈リーダー 全裸で逆バンジーやるって企画でさ。全裸のくせに軽くオーデコロンなんかつけちゃって〉
〈ジモン そうそう。わざと飛ぶ前に遠い目をして、シブい男の横顔見せたり〉
〈竜ちゃん 裸で体を守るものっていったら、香水ぐらいしかないだろ!〉
この続きは5月23日発売の『週刊大衆』6月6日号で。日本中から愛された芸人の上島竜兵さんのご冥福をお祈りします。