2度の離婚、整形後遺症、不倫、自殺…明治時代の悲劇の大女優・松井須磨子の生涯 (2/2ページ)

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しかしそんなスキャンダルもなんのその、須磨子が歌った歌は大ヒットし、須磨子は日本初の歌う女優となりました。ちなみに1917年のレコード「今度生まれたら」では、歌詞の中にある

「かわい女子(おなご)と寝て暮らそ」

の部分が当時の文部省により猥褻扱いされ、日本初の発禁レコードになります。

須磨子の人生はとにかく「日本初」が多いのです!

不倫の恋人の死後後追い自殺

人気絶頂の須磨子でしたが、 1918年11月、恋人・抱月が病死すると、2ヶ月後に劇場の道具部屋において首吊り自殺。松井須磨子の波乱万丈人生があっけなく幕を閉じるのでした。

2度の結婚生活は上手くいかなかった彼女でしたが、抱月への恋心は本物だったようです。

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