関ジャニ∞の横山裕「オニギシ」のように懐かしいおふくろの味 (5/5ページ)

日刊大衆

そして最後、横山や友近らレギュラー陣が訪れたのが「一番飯店」だった。

 実は筆者はこの店の真裏に社屋がある出版社で、大学時代から数年間働いていた。だから、週に3日かはここで昼飯か夕食を食べた。馬場に店を構えて70年という老舗だが、当時は先代がまだ元気に中華鍋を振るい、2代目はほぼ出前に徹していた。

 なんでも美味かったが、炒飯は鉄板で、中華丼+半ラーメンがついた2番セットなどもよく食べた。2代目が店を切り盛りするようになって、夜の飲みに力を入れ、小皿メニューが充実しだした。今では全メニュー70種以上を誇る。それもこれも、客のリクエストを2代目が受け入れた結果だ。

手塚治虫も通った店

 その先例はもはや伝説になっている。近所にプロダクションを構える手塚治虫は毎日のように、同店から出前を取っていたが、日々忙殺されていて、食事も1日1度だけ。だから、栄養価の高いメニューをと、「焼きそばの上に八宝菜を載せて」とリクエストしたのだ。それが「特製上海焼きそば」。

 一番飯店をメディアが取り上げる際には決まって紹介される。だから、『ヒルナンデス』でも出演者のリクエストに応えて何品か作り、中でも自信作は期間限定で実際のメニューにも掲載されるという展開となった。

 もっとも、横山のリクエストはここでも“オニギシ”のように王道で、10分で作れる中華風カレーだった。

 具材は豚バラ肉と玉ねぎのみで、豚と鶏のガラスープにカレー粉を入れ、醤油と砂糖とオイスターソースで味を整え、水溶き片栗粉でとろみをつけるだけ。これぞメニューに採用されるべきシンプルな一品だが、もっと見栄えのいい友近発案の「とり天とイチジクの甘酢あんかけ」が実際には提供された。

 筆者もこんな番組の模様を見るにつけ、一番飯店でかつての仲間と集いたくなってきた。23~24歳で母を亡くし、当時界隈で他に行った店もほとんど残っていない。だから、いろいろわがままの言える、この店はお袋の味の延長線上にある。そして、次回利用した際は2代目に伝えよう。「〆は横山に出した中華風カレーにしてほしい」と……。

(取材・文=鈴木隆祐)

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