鎌倉殿の9月9日…頼朝や義時たちも菊の節句を楽しんでたの?『吾妻鏡』を読んでみました【鎌倉殿の13人】 (5/6ページ)

Japaaan

行景と酌み交わした菊酒(イメージ)

「重陽の節句に先生と出会えたのは得難いご縁。前庭に咲く菊の花を盃に浮かべて酌み交わし、末永くお願い申し上げる」

【原文】蹴鞠の師範となして召請するのところ、たまたま重陽の日を迎え、はじめて対面をとぐ。ことさらになお前庭の籬菊(まがきぎく)を盃に浮かべ、永く万年を契るべし。

行景は頼家の歓迎に感謝し、頼家から銀造りの太刀を与えられたのでした。

「まぁ、こうして四季おりおりの節目を祝うのも、悪くはないかも知れんな」

そこで翌建仁2年(1202年)は鶴岡八幡宮の臨時祭に参列したものの、その翌年は急病に昏倒してしまいます。阿野全成(演:新納慎也)を処刑した祟りによるものかも知れません。

9月2日には舅の比企能員(演:佐藤二朗)ら比企一族を滅ぼされ、9月5日には意識を取り戻した頼家。目が覚めた時にはすべてが終わっており、悪あがきもむなしく出家・追放されてしまったのでした。

終わりに

以上、頼朝の挙兵からと頼家の追放まで、9月9日の過ごし方をたどってきました。ちなみに当時の9月9日は陰暦なので、現代の新暦では10月4日に相当します(令和4・2022年)。

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