さらば仲本工事!元気になる!!永遠のドリフターズ爆笑伝説20 (2/8ページ)

日刊大衆

 芸能レポーターの城下尊之氏は、故人の人柄を伝えるエピソードを明かす。

「約20年前、タレントの副業がはやっていた頃です。仲本さんが当時経営していた、渋谷の居酒屋を訪ねたら、ご本人が“母親が働きたいと言うもんで”と、気さくに話してくれたんです。今思えば、いかにも仲本さんらしい理由でした」

 仲本さんはまた、ドリフのメンバーとして、お茶の間に笑いを届け、日本を元気にした功労者でもある。

「ハツラツとした体操コントが得意でしたが、天然ボケの素養もありました。生き返る死体の役で、棺桶から起き上がるはずだったのに、熟睡したままだったことも」(放送作家)

 ここでは、そんなドリフの爆笑秘話を紹介することで、明るく仲本さんを追悼したい(以下一部敬称略)。

■音楽バンドとしてスタート

 ザ・ドリフターズが、音楽バンドとしてスタートしたことはよく知られている。

「当初はメンバーが流動的で、10人以上いたときもありました。いかりやさんと加藤さんは1962年に途中加入。やがて新リーダーになったいかりやさんが、コミック路線を強化し、それに合う人材を集めたんです」(ベテラン芸能記者)

 いかりや長介(享年72)、加藤茶、荒井注(享年71)、高木ブー(89)、そして仲本工事。この顔ぶれがそろったのは、高度経済成長まっ盛りの65年のことだった。

「芸名をつけたのは所属事務所の大先輩だったハナ肇さん。芸能は水ものなので、水にまつわる名前がいいと、さんずいのつく“注”や“茶”が決定。

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