沖縄の一部の地域に残る「オウに行く」という表現は人の死を意味する (2/2ページ)

心に残る家族葬

縄文時代の貝塚は主にゴミ捨て場として機能していたが、同時に葬所でもあった。この土地からは縄文人の屈葬人骨や、幼児骨などを納めた埋め甕が発掘されており、縄文時代の葬所であったことは明らかである。
また、京都府北部の丹後半島東岸に伊根という土地がある。その付近には、「青島」という島がある。この島はいつとも知れない頃から伊根の住人の火葬の場であり、昭和十七年十月まで続けられていた。青島での火葬が止んだのは、太平洋戦争に先だつ日中戦争のあいだに、青島が軍用地に収用され、魚雷艇の発進基地が置かれたからである。島は立ち入り禁止になり、やむなく陸地の大浦集落へ葬所を移したそうだ。
「青」の付く土地においての葬所との関連は、縄文時代から現代にいたるまで長きにわたるものであることが分かるだろう。

■「青」と人の死

「青」とは、私達が普段の日常生活でもよく使う色の名称である。現代でこそ、色を表す言葉は緑、黄、橙、紫など、数多く存在するが、日本古来より使われていたという色の名前は赤、黒、白、青の四色であったとされる。これらの色はそれぞれ彩度や明度の状態を表しており、赤は「明るい」、黒は「暗い」状態であり、赤と黒は対極である。白は著し(しろし と読む)であり、ハッキリしている様を表す。そしてその白と対極にある青は、「淡し」であり、ぼんやりとしている様を表す。「青」と付く地名と葬所に関わりがあるのは、確かな肉体を持ち、地に足をつけハッキリとそこに存在していた「生」の状態と対の、淡く、儚くなってしまった「死」の状態を表しているからではないだろうか。

■参考資料

筒井功『葬儀の民俗学 古代人の霊魂信仰』2010年3月 河出書房新社

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