掃除という行為に宿る宗教性とは 神道と仏教は掃除をどう捉えているか (2/3ページ)

心に残る家族葬

伊勢神道の根本経典のひとつ「倭姫命世記」「正直の頭に神宿る」とある。確かに日本人にとって掃除は神事なのかもしれない。

■掃除の5つの功徳

長谷川氏の持論は掃除神事論で終わっている。確かに清浄を好む心性は日本古来の神道の教えに由来するところが大きいと思われる。他方、掃除は仏事でもあるのではないか。日本人のもうひとつの大きな精神的背景である仏教においても釈迦が「掃除の功徳」を説いたとされている。「掃除の功徳」は原始仏典では常套句化しており、内容には若干の差異が見られるが「根本説一切有部律」によると、以下の5つの功徳が示されている。

自己の心が清らかになる
他人の心が清らかになる
神仏の心が清らかになる
招集しうる善根を積む
肉体が滅んだ後、天界の諸神に生まれる

掃除をするだけで死後の不安も解決できるとてつもない功徳である。「陰徳を積む」という言葉もある。陰徳とは誰も見ていないところで行う善行によって心に積まれる徳のこと。誰も見ていなくても、する人はする。

■周利槃特の悟り

掃除の功徳を体現した人物に周利槃特(しゅりはんどく=チューダ・パンダカ)という釈迦の仏弟子の逸話がある。槃特は物覚えが悪く自分の名前すら覚えられない愚者だった。そのため名前を書いた名札を首にかけていたが、それすら忘れてしまったという。槃特は釈迦に周りの修行の邪魔になるので出て行くことを伝えた。釈迦は掃除好きの槃特に一本の箒を渡し、「わたしは塵をとり除く」「わたしは垢をとり除く」という句を授け、掃除の時に唱えるよう指示した。もちろん槃特はそれすら忘れてしまうので、何年も箒を持って「ちりを払わん あかを除かん」と唱えながら、来る日も来る日も掃除に打ち込んだ。やがてその姿に周りの仏弟子たちも槃特を尊敬するようになった。そして槃特は「ちりやあかとは、執着の心である」と気づき悟りを得たという。掃除の功徳は元々清浄を好む日本人とは相性が良かったことだろう。日本人にとって掃除は仏事でもあるといえる。

■白装束

代表的な仏事といえば葬儀もまた聖なる儀式、仏事、そして神事である。

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