尼将軍・北条政子の最期。嘉禄元年7月11日を『吾妻鏡』はこう書いた【鎌倉殿の13人 後伝】 (2/4ページ)
6月8日……政子はまだ動ける内に、生前から死後の冥福を祈る仏事(御逆修)を行なう。
6月10日……大江広元(演:栗原英雄)没。享年78歳。
6月12日……泰時が政子の快癒祈願で三万六千神の祭礼を行なう。
6月13日……義時の一周忌。
6月15日……政子、縁起を担いで新築の御所へ移転を希望。
6月16日……政子、意識不明に。すぐ意識戻る。政子の移転について、陰陽師らが議論。21日に。
6月21日……政子の移転予定日だが、陰陽師・医師らで意見が対立。夜になって政子が意識不明に。結局26日に延期。
6月26日……記述なし。ただし政子の病状が思わしくないからか、移転は再延期になった模様。
7月6日……政子を治療するため、侍医の和気定基(わけ さだもと)が往診。それまで主治医であった丹波頼経(たんば よりつね)が匙を投げたためとのこと。
7月8日……政子が危篤。演技を担いで東の御所へ移動。
そして7月11日。政子が69歳の生涯に幕を下ろしたのでした。しかし危篤状態にありながら引越しって……現代人の感覚で言えば「正気か!?」と思ってしまいますが、それだけ縁起を担ぐのは生死を左右しかねない大問題だったのでしょうね。
稀代の悪女か?それとも鎌倉の救世主か晴。丑刻。二位家薨。御年六十九。是前大將軍後室。二代將軍母儀也。同于前漢之呂后令執行天下給。若又神功皇后令再生。令擁護我國皇基給歟云々。
※『吾妻鏡』嘉禄元年(1225年)7月11日条
【意訳】晴れ。午前2:00ごろ、政子が69歳で世を去った。源頼朝(演:大泉洋。