【幕末維新】天に達すか、尊皇攘夷の志。水戸天狗党の乱に散った志士・藤原天達 (2/4ページ)

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このことから、卯年の天保14年(1843年。癸卯)か天保2年(1831年。辛卯)生まれの可能性が考えられます。

元から慷慨(こうがい。世を憂えてこれを立て直したいと願うこと)の志高く、元服して天達と改名。恐らく「志が天高く達する(よう、前途が開ける)ように」との思いを込めたのでしょう。

直ぐにも行動したかったのですが、いかんせん先立つモノがありません。そこで江戸に出て軍資金を貯めるため商売を始めました。この事から武士身分ではなく、名前も元は清左ェ門だけだったと考えられます。

いつか尊皇攘夷の志を果たすべく働き続けた清左ェ門は、源烈公(みなもとの れっこう)こと水戸藩・徳川斉昭(とくがわ なりあき)の思想に感動しました。

「決起の条件が揃うのを待つより、行動してこそ条件がついて来るのだ!」

清左ェ門は商売をやめて竹林虎太郎(たけばやし とらたろう)と改名します。古来「龍は雲を呼び、虎は風を起こす」と言うように、激動の世に風を起こさんと意気込んだようです。

天狗党を率いた首領・武田耕雲斎。大蘇芳年「名誉新聞」

果たして元治元年(1864年)、水戸の過激派・天狗党が挙兵。後世に伝わる「天狗党の乱(元治甲子の乱、甲子の役)」が幕を開けました。

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