名前のインパクト強烈!鎌倉の片隅に祀られた北条秀頼とは何者だったのか (2/3ページ)
あるいは家臣でない他家の者が一名(例えば客将など)いたのかも知れません。いや、それならばちゃんと名前を載せてあげて下さい。
さて、石碑の表面はこんなものにして、裏面を見てみますと……。
命日二月十三日
建立昭和十年二月吉日
志主 加藤■(和?利?)喜太郎
どうやらこの北条秀頼なる人物が2月13日に亡くなったのでしょう。
その遺徳を慕った加藤氏が、昭和10年(1935年)に石碑を建立。北条秀頼主従+1名を御祭神に「北条秀頼神社」として祀ったようです。
ちなみに、この加藤氏は加藤利喜太郎(りきたろう)あるいは加藤和喜太郎(わきたろう)の単独名か、あるいは利喜(としかず)あるいは和喜(かずよし)と太郎(たろう)の連名なのか、そこの辺りも興味が惹かれるところ。
察するところ、いつぞや(名前の雰囲気から戦国時代?)のある年2月13日に主従351名と他1名が自害したか討死したかの英霊を祀ったのでしょう。
出来ればお寺の方に詳しい由来や伝承などを伺いたいところですが……この日は残念ながら撤退しました。
天神山の城主だった?さて、その後「北条秀頼」でググってみたところ、出て来たのは豊臣秀頼(とよとみ ひでより)や北条氏がほとんど。
もうちょっと捻ってみようと「玉縄北条氏」で調べてみても芳しい成果は得られず。歴代の玉縄城主などを調べても2月13日に亡くなった者は見つかりませんでした。