「どうする家康」弱き主君は害悪、滅ぶが民のため。武田に従う?第16回放送「信玄を怒らせるな」振り返り (2/8ページ)

Japaaan

逆に、武田家における源三郎の扱いも常識的には考えられません。当人曰く「他の若い侍と同じように扱ってもらっただけ。むしろ私は一番やさしくされた」との事ですが、それで全身ボロボロ、凍傷で足の指が壊死するという待遇はいただけません。

なお、どの史料や文献を調べても「武田の将兵がリンチまがいの訓練を受け、それが最強軍団を鍛え上げた」という旨の記述は見当たりません。念のため(もしご存じでしたらご教示ください)。

……ちなみに源三郎は天文21年(1552年)、於大の方が久松長家(演:リリー・フランキー)との間に産んだ次男で、家康とは10歳離れた異父弟に当たります。

永禄6年(1563年)に今川氏真(演:溝端淳平)の元へ人質に送られていましたが、永禄11年(1568年)に信玄が駿河へ侵攻した際、今川家臣の三浦与一郎(みうら よいちろう。三浦与次)が武田へ寝返る手土産として源三郎を甲斐へ連れ去りました。

家康の元へ戻ってきたのは元亀元年(1570年)11月、甲斐から冬山を越えたために両足の指を凍傷で失ってしまいます(劇中では原因不明)。

ともあれ生還した源三郎との再会を喜んだ家康は康の字を与え、松平康俊(やすとし)と改名させました。

やがて天正11年(1583年)に駿河国久能城(静岡県静岡市)を与えられますが、天正14年(1586年)に35歳で世を去ります。全体的に幸薄い印象ですね。

この後、特に大きな活躍をする予定もないため、このままフェイドアウトしていくものと予想されます。

ところで、望月千代女(演:古川琴音)とのバトルを繰り広げる中で重傷?を負った女大鼠はここで退場(討死)でしょうか。本編ストーリー(歴史の流れ)とはまったく関係ないので、どうでもいいと言えばいいのですが……。

信玄も家康への言伝≒挑発が目的なら、ボロボロになった源三郎をさっさと返せばよかったのではないでしょうか。

そうすれば無駄な人死にもなく、上洛そして徳川との決戦に向けて兵力を温存できたのに、と思ったのでした。

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