「どうする家康」”設楽原の戦い”に出して欲しい!長篠合戦図屏風に登場する武田軍の軽装武士は何者か? (3/3ページ)
……山縣三郎兵衛千五百にて柵の内へおひこむ、されども家康強敵のゆへ、又くひつき出る、山縣衆は味方左の方へ廻り敵の柵の木いはざる右の方へおし出し、うしろよりかゝるべきとはたらくを、家康衆みしり、大久保七郎右衛門てうのはの差物をさし、大久保二郎右衛門金のつりかゞみ(つりがね?)のさし物にて、兄弟と名乗て山縣三郎兵衛衆の、小菅五郎兵衛、廣瀬郷左衛門、三科傳右衛門此三人と詞をかわし、追入おひ出し九度のせり合あり、九度めに三科も小菅も手負引のく……
※『甲陽軍鑑』巻第十九 五十二品「長篠合戦事」
大久保忠世(演:小手伸也)・大久保忠佐(ただすけ。忠世の弟)兄弟の部隊を相手に九度の押し合いに及んだそうです。
山県隊の小菅五郎兵衛(こすげ ごろべゑ)・廣瀬郷左衛門(ひろせ ごうざゑもん)・三科傳右衛門(みしな でんゑもん)らは奮戦の末に負傷して退却、昌景は銃弾に斃れてしまいます。
この乱戦において、恐らく彼も討死してしまったのでしょう。脇差一振りでどこまで戦えたのか、武勇の記録が残されておらず残念でなりません。
終わりに以上「長篠合戦図屏風」に描かれている、やたら軽装な武士について紹介してきました。
名前が伝わっていないので実在性は不確かながら、各バージョンで描かれているため、元となった伝承くらいはあるのかも知れません。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」に彼の登場はあるでしょうか。是非とも彼のような無名兵士にもスポットライトを当てて欲しいところです。
※参考文献:
高坂弾正ら『甲陽軍鑑 上』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan