最後はどうなった?長いものに巻かれ続けた織田信雄の人生をご紹介【どうする家康】

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最後はどうなった?長いものに巻かれ続けた織田信雄の人生をご紹介【どうする家康】

長いものには巻かれる。この言葉は、勝ち目のない相手には抵抗せず従った方がいい意味を持つことわざであり、大河ドラマどうする家康では、キャッチコピーに使われた人物がいました。

その人物は織田信雄で、キャッチコピーは「長いものに巻かれ続ける、父と真逆の人生」

今回は、長いものには巻かれ続けて生きた織田信雄の生涯をご紹介します。

織田信雄/Wikipediaより

織田信長の息子として覇道に貢献(?)した

織田信長/Wikipediaより

信雄は永禄元年(1558)に生まれ、幼名は茶筅丸でした。また、同時期に信孝も生まれ、生まれ順的に信雄が三男となる予定でした。

しかし、信孝の母親の身分が低かったことが理由で信雄が次男、信孝が三男として位置づけられます

北畠具教/Wikipediaより

そして、永禄12年(1569)には伊勢国(現在の三重県北中部)に勢力を持つ北畠家の養嗣子となります。

北畠家の家督を相続後は、天正4年(1576)に養父の北畠具教(きたばたけ-とものり)や家臣たち14人を謀殺する三瀬の変を起こし、伊勢国を掌握

勢いを得た信雄は、隣国の伊賀国(現在の三重県西部)も掌握できると高を括り、信長に無断で伊賀国へ侵攻します(第一次天正伊賀の乱)。

この戦いで勝利していたのならいいものの、結果は大敗。無断で兵を率いたことと戦いの敗北が信長の怒りを買い、親子の縁を切ると言われる程の叱責を受けました

その後は信長が軍を率いた第二次天正伊賀の乱で伊賀国を平定されています。

豊臣秀吉と対立するも家臣となる

明智光秀/Wikipediaより

天正10年(1582)に起こった本能寺の変の際、信雄は明智光秀に対抗すべく進軍しますが、撤退しています。理由として、信孝の四国征伐に兵をさき、2500人程の兵数しかなかったことがあげられます

清須会議では、兄・信忠の後継者になる目論見が外れ、甥の三法師の後見人となりました。また、尾張(現在の愛知県西部)・伊賀・南伊勢の100万石も相続しました。

三法師を肩に乗せる豊臣秀吉/Wikipediaより

以後は豊臣秀吉に取り入りますが、賤ヶ岳の戦いの勝利で力をつけた秀吉と対立。信長の盟友だった徳川家康と同盟関係を結び、戦う姿勢を見せました

対立した理由は、裏切った家臣がいたことと天正12年(1584)に年賀の礼に来るよう命令されたことがあげられます。

そして、同年には織田徳川連合軍と秀吉が戦った小牧・長久手の戦いが勃発。戦いでは織田徳川軍が勝ったものの、総大将であった信雄が調略と領地侵攻を受け、無断で講和を結んだことで最終的に秀吉の勝利で幕を閉じました

豊臣秀吉/Wikipediaより

戦後、信雄は秀吉の家臣となり、富山の役や小田原征伐に従軍しました。しかし、小田原征伐後の論功行賞で尾張国から移封されることを拒否。

これが秀吉の怒りを買い、改易処分が下され、下野国烏山(現在の栃木県東部)や伊予国(現在の愛媛県)へ流罪となりました

文禄元年(1592)には家康の仲介もあり、御伽衆として秀吉に再度仕えました

徳川に対抗した後に仕える

豊臣秀頼/Wikipediaより

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは西軍に味方したことで再度改易処分が下されます。その後は秀吉の子・秀頼の援助を受け、大坂城下で生活しました。

慶長19年(1614)に起きた大坂冬の陣の際には信雄の従兄弟・織田頼長が秀頼を大坂城から追い出し、信雄を総大将とする動きがあったようです

しかし、信雄は大坂城を退去し、京都に移り住んだことで豊臣家を見限ったことがうかがえます。

徳川家康/Wikipediaより

大坂の陣後は家康より大和国宇陀郡(現在の奈良県)と上野国甘楽郡(現在の群馬県南西部)の5万石を与えられました。

その後は京都で隠居し、徳川家光より茶会への招待や鷹狩を行い、悠々自適に隠居生活を満喫していました

そして、寛永7年(1630)に73年で死去。後々、信雄の領地相続を巡って子どもたちの相続争いが起き、信雄の詰めの甘さが露呈する結果となりました

最後に

父が戦国時代に新しい風を吹き起こした革命児だったので、その子だった信雄は自分のその力があると思い込んでしまったと思います。

それ故に第一次天正伊賀の乱や秀吉との対立といった無謀とも言えることができたのだと考えられます。

しかし、敵わないと見るや対抗せず、従属してしまう身のこなしの軽さは信雄の良い所。長いものには巻かれたことで江戸時代では自由に過ごせたので、ある意味信雄の選択は正解だったのかもしれませんね。

トップ画像(右):NHK大河ドラマ「どうする家康」公式HPより

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