「どうする家康」今までずっと、ありがとう!そして新天地へ…第37回放送「さらば三河家臣団」振り返り

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「どうする家康」今までずっと、ありがとう!そして新天地へ…第37回放送「さらば三河家臣団」振り返り

徳川家康(松本潤)が必死に北条氏政(駿河太郎)をかばっていたのは、滅ぼした後に自分が関東の地へ飛ばされる「国替え」を恐れていたから……って、そんなの最初から知ってるわけあるかいっ!

北条の誇る小田原城と言えば、かつて武田信玄も上杉謙信も攻略できなかった天下の堅城。そして実際の秀吉もギリギリのところで攻略できた訳ですし、そんな結果論だけで語られても興醒めなのです。

小田原城を包囲する秀吉・家康らの配置図。徳川勢は北東を固めている。筆者撮影

……ともあれ、伊勢宗瑞(いわゆる北条早雲)より五代の長きにわたり関東に覇を唱えた北条氏があっけなく滅ぼされ、豊臣秀吉(ムロツヨシ)によって家臣団を解体されてしまった「我らが神の君」。

三河からずっと一緒に戦ってきた家臣団はひとまず解散、皆それぞれの新天地へ旅立っていきました。

何はともあれ、これで天下一統めでたしめでたし……と思っていたら、愛する「我が子」鶴松を喪った秀吉は、狐に憑かれたごとく唐入り(中国大陸・朝鮮半島への進出)を叫ぶように。

もしも関白殿下が間違ったことをしたら、私が止める……そんなことを言っていた石田三成(中村七之助)は、果たして家康と同じ星を見ることが出来るのでしょうか?

……などなど色々目まぐるしい今週も、さっそく気になるトピックを振り返っていきましょう!

北条氏政・氏直の末路

北条氏政(左)・氏直(右)父子(画像:Wikipedia)

北条氏政「我らはただ、関東の隅で侵さず侵されず、我らの民と豊かに穏やかに暮らしていたかっただけ……」

本作の設定では亡き瀬名(有村架純)が掲げた「慈愛の国」に従い、非戦の「夢」を貫いていた……と言っている北條氏政。

しかし当時の北条氏は常陸の佐竹氏や安房の里見氏などと激しく争っており、また関東に進出してきた織田家臣・滝川一益らとも衝突していました。

何より本能寺の変直後は空白地帯となった武田旧領を巡って上杉景勝や家康、そして真田昌幸(佐藤浩市)らと分捕り合戦を繰り広げていることは、劇中でも描かれています。

夢や星を見るなとは言いませんが、為政者にはどうか領民や現実を見ていて欲しいものですね。

まぁそんな過去のことは忘れて、滅亡後の北条氏政・北条氏直(西山潤)父子はどうなったのでしょうか。

……小田原にも松田某などいへる腹心の輩。寄手に内通するものも多ければ。いまは孤城守りがたく防戦の手だてをうしなひ。氏政氏直父子はじめ一族家人等皆降をこふをもて。氏政にははらきらせ。氏直をば助けて宗徒の家人をそへ高野山にをしこめぬ。さすが氏直は  君の御むこなれば関白もさのみからくももてなされず。後には大坂によびせよ。西国にて一国をあたへんとありしが。不幸にして氏直痘を病てうせければ北條の正統はこゝに絶ぬ。……

※『東照宮御実紀』巻四 天正十八年「北条氏亡」

北条氏政……天正18年(1590年)7月11日、秀吉の命により切腹。辞世はこちら。

雨雲の おほえる(覆える)月も
胸の霧も はらひにけりな 秋の夕風

【意訳】雨雲に覆われていた月も、胸中の霧も、爽やかな秋風が祓い清めてくれた。もう思い残すことはない。

我身今 消ゆとやいかに おもふへき
空よりきたり 空に帰れば

【意訳】我が身が消えると悲しむことはない。もともと天から来たのを、天へ帰るだけなのだから。

……百年以上にわたる栄華を自分たちの代で費やしてしまった胸中は察するにあまりあるもの。だからこそ、この爽やかな辞世が胸に沁みますね。

北条氏直……家康の助命嘆願によって7月12日、高野山へと追放されました。ひとまず命が助かって何よりです。

翌天正19年(1591年)から赦免運動が行われ、8月19日には1万石を与えられて大名に復帰。別居していたおふう(清乃あさ姫)と再会するも、11月4日に病死してしまいます。

これからやり直しという時に、無念だったことでしょう。

かくして戦国大名としての北条氏は滅亡しましたが、名門の家督は伯父の北条氏規が継承し、その末裔は明治維新を迎えることとなります。

阿茶局について

阿茶局・雲光院肖像(画像:Wikipedia)

いきなり登場した側室・阿茶局(松本若菜)。先週に於愛(広瀬アリス)が退場したかと思ったら、彼女を悼む間もなくやってきた彼女。

と言っても、実は天正7年(1579年)時点から家康の側室になっていました。妻的存在が一場面に二人以上いてはいけないルールでもあるのでしょうか?

恐らく築山殿(瀬名)の嫉妬が怖かったから、死後やって来たのかも知れません。それから数年間、徳川家中のどこにいたのでしょうか……。

元は武田家臣・飯田直政の娘で、一度は神尾忠重に嫁いで二人の息子(神尾守世、神尾守繁)を産みますが、天正5年(1577年)に夫と死別してしまいます。

才知に富んだ女性として家康から寵愛され、数々の戦場に同行。天正12年(1584年)の小牧・長久手合戦では妊娠中にもかかわらず連れて行かれ、そのせいか流産してしまいました。

天正17年(1589年)に於愛が亡くなると、彼女の子供たち(長丸、福松)を養育。後に長男の神尾守世は長丸(後の徳川秀忠)に近侍しています。兄弟同然の強い絆が育まれていたのでしょう。

その後も徳川家の奥向きを取り仕切り、また外交面でも活躍しました。今後の重要なキーパーソンとなるので、今後も注目していきましょう!

……ところで、劇中の彼女が男装をしているのは最新研究の成果でしょうか?それとも制作者の趣味、あるいは10月からシーズン2が放送される「ドラマ10大奥」を意識しているのか……正直、違和感を否めません。

彼女もいい歳した大人(天文23・1554年生まれ)なのですから、あまりはっちゃけたことはさせないで欲しいところです。

ともあれ、家臣団と離れ離れになった家康の側近として、活躍が期待されます。

みんなの行き先、そして服部半蔵は?

みんなの兄貴・大久保忠世(画像:Wikipedia)

みんなが動転しないよう、国替えのことは黙っていた家康。しかし本多正信(松山ケンイチ)の機転によって事前に通知、案の定猛り狂ったヤンチャ坊主たちを、見事にわからせてやった「兄ィ」大久保忠世(小手伸也)。

……もう皆さんアラフォー・アラフィフなんですから、いつまでもヤンキー漫画みたいな展開は……いえ、何でもないです殴らないで下さい。

ちなみに俗説では、秀吉が「一夜城」で家康と連れ小便をしている時にいきなり国替えを命じたと言います。これを「関東の連れ小便」と言うそうですが、せっかくエピソードを採用するなら、家康もつき合えばよかったのにと思いました。

ともあれ、家臣団と離れ離れになる神の君……と言うより今までだって、みんながみんな本拠地(岡崎⇒浜松⇒駿府)で一緒にいた訳ではありませんでした。皆さんそんなに暇じゃないのです。

今回の「国替え」に伴う配置転換だって、家康を守るために配置しているのですから、ちょっと今さら感は否めませんね。

さて、それではみんなの行き先をおさらいしていきましょう。

井伊直政(板垣李光人)⇒上野国箕輪(群馬県高崎市)12万石

本多忠勝(山田祐貴)⇒上総国万喜(千葉県いすみ市) 10万石

榊原康政(杉野遥亮)⇒上野国舘林(群馬県館林市)10万石

大久保忠世(小手伸也)⇒相模国小田原(神奈川県小田原市)4.5万石

鳥居元忠(音尾琢真)⇒下総国矢作(千葉県香取市)4万石

平岩親吉(岡部大)⇒上野国厩橋(群馬県前橋市)3.3万石

※数値は諸説あり

多い順に並べてみました。やはり徳川四天王メンバーはケタが一つ違います。

また配置を見ても家康をぐるりと取り囲み、万全の守りを固めているようです。三河武士団の結束は、どこへ行こうと揺るぎませんね!

……で、一人だけどこも貰えなかった服部半蔵(山田孝之)。せっかく武士としてみんなと一緒になれたと思ったのに……ちょっと辛いですよね(私事で恐縮ながら、似たような経験があって他人事とは思えませんでした)。

こんな事なら呼ばなければよかったのに……神の君は「どこかやるさ」と言った通り、やがて半蔵は8,000石ほどの所領を賜わります。

まぁ、それでもありがたいけど……何万石単位の華やかな出世に比べると、何だか寂しくなってしまうのは無理からぬところ。

それと劇中では家康の軍師として江戸に同行する本多正信ですが、彼もちゃっかり相模国玉縄(神奈川県鎌倉市)に1万石を賜わり、大名となっていました。あの場で言うのは気が引けたのかも知れませんね。

ところで酒井忠次は?

忠次の嫡男・酒井家次。着実に世代交代は進みつつある(画像:Wikipedia)

徳川家臣団の卒業式?シーンを見ていると、酒井忠次(大森南朋)の姿が見えないことに気づいた視聴者は少なくなかったと思います。

徳川四天王の筆頭格であり、第1回放送からずっと家康を支え続けた酒井忠次は、この時どこで何をしているのでしょうか。彼は眼病を患っており、天正16年(1588年)には嫡男の酒井家次に家督を譲って隠居。京都で余生を過ごしておりました。またこのころ出家して一智と号したとも伝わります。

では、その酒井家次は「国替え」に際してどれほどの所領を賜わったのでしょうか。

酒井家次(忠次の嫡男)⇒下総国臼井(千葉県佐倉市)3.7万石

あれ?次世代の若輩といえども四天王筆頭格の家柄であれば、10万石以上はもらってもいいのでは……そう思ったのは忠次も同じでした。

「家次の所領ですが、もうちょっと増やしてあげてもらえませんか」

忠次が懇願したところ、家康は冷たく言い放ったとか。

「ふーん、そなたでも我が子は可愛いのか」

これはかつて築山殿事件に際し、忠次が家康の嫡男・松平信康(細田佳央太)を弁護しなかったことを皮肉っているのです。

わしの息子は守ってくれなかったくせに、自分の息子は優遇せよとわしに言うのか……家康はずっと怨み続けていたと言います。

果たしてそれが嘘か真か。家康の死後、酒井家が破格の加増を遂げたことが、一つのヒントと言えるでしょう。

忠次は慶長元年(1596年)に70歳で亡くなりますが、最後に「海老すくい」を披露する機会があるのかどうか、楽しみに見守ろうと思います。

家康、江戸をつくるの巻

往時の江戸城。お江戸は一日にしてならず(画像:Wikipedia)

さて、湿地ばかりの吹きっさらしな江戸へやってきた「我らが神の君」。かつて穢土(えど。けがれた大地)と蔑まれてはいましたが、よく考えれば秀吉が発展させた大坂だって元は湿地ばかりでした。

つまりこれは扱いにくい湿地帯をどのように開拓するかで家康の力量を見定めた、あるいは家康なら東国をも大きく発展させられると見込んだからこそ……とも言えるのではないでしょうか。

実際の家康だって住み慣れた駿府を離れ、岡崎や浜松を明け渡すのは嫌だったでしょう。しかしいざ江戸の大地(というより関東平野)を目にしたら、どこまでも広がる可能性に心躍ったことと思います。

まさにフロンティア(開拓最前線)。確かに資金や労力はかかるから、当分秀吉に逆らうための力は削がれるでしょうが、それを補って余りある恩恵を確信したはずです。

「やってやるぞ!」

もしかしたら、秀吉は意地悪で江戸を指定したのかも知れません。それならそれで、いつか必ず豊臣を倒すための力をここで蓄えて見せる。そういう高揚感を、演じて欲しかったと思います。

さっそく始まった江戸のまちづくり。ここで活躍していた伊奈忠次(なだぎ武)は、これまで二度も徳川家から離反した過去がありました。

一回目は三河一向一揆(第8~9回放送時点)で、二回目は築山殿事件(第25回放送時点)で出奔しています。

舞い戻ったタイミングはそれぞれ長篠合戦(第22回放送時点)と神君伊賀越え(第29回放送時点)、出たり入ったり実に忙しい人生です。

ちなみに父の伊奈忠家は織田信雄(浜野謙太)に仕えるよう命じられ、三度も徳川家を離れました。後に今回、国替えを拒否したことで改易されたため、徳川家を舞い戻って忠次の世話になっています。

また余談ながら、忠次の姉に“たね(豊嶋花)”がいました。覚えていますか?彼女(仁木助左衛門妻)は瀬名の死に殉じて入水自殺を遂げています(劇中では描写なし)。

話を戻して、これから江戸のまちづくりが面白くなってくるところですが……残念ながらそんなことに尺をとる余裕はなさそうです。

まちづくりやルール整備(それに伴う利害関係の調整など)といった政治的な面白さを、分かりやすく若い世代に伝える描写も時代劇の醍醐味だと思うのですが、それは今後に期待しましょう。

第38回放送「唐入り」

押し寄せる豊臣軍の大船団(画像:Wikipedia)

いきなり届けられた朱印状には、鶴松の死に狂ってしまった?秀吉による「唐入り」命令がつづられていたようです。

ちなみに秀吉の「唐入り」計画はそれ以前からあったようですが、今回はそういう設定とご理解下さい。

世に言う朝鮮出兵(文禄の役・慶長の役)の火蓋が切って落とされ、我らが神の君は秀吉と共に前線基地の名護屋城へ入ります。

しかし徳川家臣団の主だった武将で渡海した者は見当たらないため、恐らくほぼナレーションで終わるでしょう。加藤清正(淵上泰史)や福島正則(深水元基)、真田昌幸・信幸(吉村界人)らの活躍が観られたら嬉しいですが……。

予告編では茶々(北川景子)が「お慕いしております」と家康すり寄り、また耄碌しつつある秀吉に「見苦しいぞ、猿」と叱りつけるなど、豊臣政権の斜陽を感じさせます。

暴走する秀吉をどのように止めるのか(実際は死ぬまで止まらないのですが)、次週も「我らが神の君」の活躍に期待しましょう!

※参考文献:

煎本増夫『徳川家臣団の事典』東京堂出版、2015年1月 小川雄ら『阿茶局』文英社、2015年10月 笠谷和比古ら『秀吉の野望と誤算 文禄・慶長の役と関ヶ原合戦』文英堂、2000年6月 黒田基樹『中世武士選書8 戦国北条氏五代』戎光祥出版、2012年1月 中野等『戦争の日本史16 文禄・慶長の役』吉川弘文館、2008年1月 本郷和人『徳川家康という人』河出書房新社、2022年10月 『寛政重脩諸家譜 第五輯』国立国会図書館デジタルコレクション

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