銘酒「北の勝」酒蔵の創業者!日本で初めてカニ缶の製造に成功した男・碓氷勝三郎の生涯【その1】 (2/2ページ)

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生家の碓氷家は、1869(明治2)年に北海道の江差に移住しましたが、すぐに父親である吉六が死去、勝三郎は奉公の身であるため、直ぐにはかけつけられず、1875(明治8)年の5月になってようやく渡道し、家族と再会しました。

1876(明治9)年、根室に移り、戸長役場に雇われ、倹約に倹約を重ねて1年弱で30余円を貯蓄したといいます。

これを元手に雑貨行商となり、1年余りで300余円の利益をあげました。そして家族を呼び寄せ、花咲郡の志発(しぼつ)村というところで、昆布採集に従事。

さらに、1880(明治13)年、行商を辞め、雑貨商を開業し、資金の増殖に専念しました。1887(明治20)年、貯蓄が約3000円に達したことを契機に酒造業も兼営し、酒は「清泉」と命名されました。売れ行きも好調、順風満帆だと思われていたのです。

碓氷が創業した「碓氷勝三郎商店」北の勝酒造場(wikipediaより)

次回【その2】に続きます

参考

『与板町史』通史編 下巻(1999 与板町) 『与板町史』資料編 下巻(1993 与板町) 橘文七 編『北海道史人名辞典』(1957 北海道文化資料保存協会.) 北海道総務部行政資料室編『開拓の群像』下(1969) 寺島柾史『根室郷土史』岩崎書店 (1951 岩崎書店)

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