雑技団?演舞?大河『光る君へ』で頻繁に登場する「散楽(さんがく)」いったい何なのか知っていますか? (2/2ページ)

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奈良時代にはさまざまなものが日本に渡ってきました同じく中国から伝わった「雅楽」が宮中や貴族の儀式の際に演じられる一方で、「散楽」は奈良時代では朝廷に保護されていたものの、平安時代になると下野し、庶民が楽しむ余興として広まっていきました。

散楽では何が披露されるのか?

散楽の魅力は、その雑多な内容です。アクロバットやマジック、人形劇、軽業、歌舞や音楽、物まねなど、多様な芸が披露されました。ちなみに散楽は、百戯(ひゃくぎ)、雑技とも言われています。

散楽は後の日本の多様な芸能につながっていった

散楽は、後世の日本の芸能に大きな影響を与えていきました。散楽はその後、なまって「さるがく・さるごう」のように変化し、こっけいな要素もあいまって「猿楽」という字になっていきました。

また、散楽と農村で行われていた芸能が組み合わさって「田楽」も生まれました。猿楽と田楽は現在の能や狂言につながっていきます。

『職人尽歌合(七十一番職人歌合)』模本
(東京国立博物館所蔵)文化庁デジタルライブラリーよ

また、曲芸の要素の一部は歌舞伎へとつながっていきました。さらに、奇術は近代初期頃に日本の手品である和妻(わづま)となりました。また、人形劇は後の人形浄瑠璃へと発展していきました。現代でも楽しめるさまざまな芸能が、散楽にルーツがあると思うと、その影響力は計り知れないものがありますよね。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

トップ画像:『信西古楽図』 (東京藝術大学大学美術館所蔵)文化庁デジタルライブラリーより

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