平安時代の刑罰の種類まとめ、花山天皇の女御など…直秀ロスが癒えぬ中「光る君へ」3月3日放送振り返り (3/7ページ)

Japaaan

五つの刑罰・流刑と死刑について

流刑に処される受刑者(イメージ)

【流刑】居住地から追放されてしまう刑罰で、罪状によって近流(こんる)300里/中流(ちゅうる)560里/遠流(おんる)1,500里の距離が定められていたそうです。

ただ移住を強制されるパターンと、移住先で一定期間の徒刑を合わせて科されるパターンがありました。

受刑者の護送は検非違使が行っていましたが、後に武士が護送するようになります。

【死刑】当時の死刑は斬首と絞首の2種類があり、首を断ち切ることで魂が戻っても復活できないと考えられていました。

斬首の方がより重い刑罰となります。基本的には公開処刑でしたが、貴人の場合は非公開にされたり、自宅での自害が許されたりするケースもあったと言います。

絞首刑は現代のような吊るすハンギングスタイルではなく、首を綱ではさみ、その両端を逆方向にねじ上げることで殺しました。

死刑執行は怨霊が祟りをなさぬよう、縁起のよい(適した)日を選んだと言います。

果たして輔保・直秀らは護送中に斬られてしまいましたが、公的には流罪の途上で変死を遂げた扱いとなるのでしょう。

そもそも、配流先で無事に生命を永らえる保証などないのですから。

にしても、道長が賄賂を渡して「手荒なことはしない」と約束したのに、検非違使はなぜ彼らを斬ったのでしょうか。

道長以上の賄賂を誰かから受け取ったのか、あるいは土御門家からの強い処刑要請があったのかも知れませんね。

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