幕末〜明治、在りし日の吉原遊郭の古写真を街並みにスポットを当てまとめました!
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日本の古写真[幕末・明治・大正・昭和]
吉原遊郭は江戸幕府によって公認された遊郭。
元は現在の日本橋人形町にありましたが、明暦の大火以降浅草寺裏の日本堤に移転しました。移転前を「元吉原」移転後を「新吉原」と呼びます。
吉原は遊郭街でしたが、独特の文化や雰囲気は人気が高く、映画や小説の舞台になっています。江戸時代には浮世絵にも多く描かれ、写真が登場してからは東京の名所として数多くの絵葉書にもなりました。
吉原の花魁の姿は古写真としても人気でよく目にすることはありますが、吉原の街並みの古写真というのは花魁の姿ほど多くない気がしましたのでまとめてみました。いま見てもとても豪勢な造りの建物が多かったことがわかります。
遊郭の内部 [画像を拡大]「金瓶楼」という遊郭の内部だと言われている写真。「金瓶楼」は格式も高い大型店舗だったようです。
吉原の遊女(明治時代) [画像を拡大]格子の中でお客を待つ遊女は「張り見世」という格付け。格子のある見世に並ぶ遊女は「格子女郎」とも呼ばれます。
出典:Hand Colored Photographic Images of Meiji Era Japan
吉原大門(おおもん) [画像を拡大]吉原歓楽街への入り口。江戸時代は木製だったそう。鉄製のアーチから明治時代以降のもののようです。
出典:吉原
新吉原 件の町通り [画像を拡大]吉原の大門をくぐった通りです。写真には写っていませんが、右側にも同じように提灯がズラリと並んでいたそうです。
出典:吉原
角海老楼 [画像を拡大]明治40年代の写真。角海老楼の時計塔は東京の名所としても有名で絵葉書にもなりました。当時、角海老楼は吉原随一の大楼で格式が高く庶民は近寄れなかったと記録に残っています。
新吉原大門 [画像を拡大]明治5〜6年頃の吉原大門。まだ木造です。新吉原唯一の出入り口。
出典:新吉原大門 | 台東区 今昔物語 | 地域密着型新聞らいふ
鉄製の大門 [画像を拡大]明治14年頃の吉原大門。遊女の脱走を取り締まるために、門の脇には詰所があり門番がいたそうです。門の先は花魁道中のあったメインストリートの仲之町(なかのちょう)。
出典:新吉原大門 | 台東区 今昔物語 | 地域密着型新聞らいふ
吉原のお座敷の様子 [画像を拡大]1910年の写真。当時のお座敷遊びの様子。並んでいる瓶はビールでしょうか。写真集「不夜城、吉原」の中の一枚。撮影は写真家 小川一眞氏。
見世の遊女と客 [画像を拡大]キセルをくわえている男性が格子の向こうから誘われています。こちらも「不夜城、吉原」の中の一枚。
吉原をゆく人力車 [画像を拡大]詳細は不明ですが、通りの真ん中をきものにハットの紳士を乗せた人力車が通ります。郭の横には人力車が並んでいます。客待ちでしょうか。
出典:Записки скучного человека - Япония в цвете. Часть 46
吉原仲ノ町の通り [画像を拡大]1890年代の吉原
出典:【画像】100年前の日本の写真が発見される『当時の暮らしぶりが良く分かる貴重写真』 | 不思議.net
新吉原大門 [画像を拡大]1910年の新吉原大門。
出典:Yoshiwara (Tokyo) | Old Tokyo
新吉原 實來楼 のしかけ [画像を拡大]遊女の部屋の内部。
出典:Yoshiwara (Tokyo) | Old Tokyo
新吉原の郭 [画像を拡大]二階からぶら下がるのは洗濯物でしょうか。通りを歩く女の子は将来の太夫かも。
出典:Yoshiwara (Tokyo) | Old Tokyo
新吉原仲ノ町 [画像を拡大]店先の飾り付けも華やかで人通りも多く賑々しい。時計塔が見えます。
出典:Yoshiwara (Tokyo) | Old Tokyo
新吉原の遊郭街 [画像を拡大]1910年の写真。生活感がにじむ1枚です。
出典:Yoshiwara (Tokyo) | Old Tokyo
藤棚のある庭 [画像を拡大]季節は冬でしょうか。吉原の中にあった庭園のようです。
出典:Yoshiwara (Tokyo) | Old Tokyo
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