歴代総理の胆力「石橋湛山」(2)最愛の息子の戦死

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歴代総理の胆力「石橋湛山」(2)最愛の息子の戦死

風邪から肺炎を起こし、持病の三叉神経麻痺が悪化して言語障害まで加わった。医師団は「今後しばらくの国会出席は不可能」と判断、石橋は断腸の思いのなかで退陣を決意した。東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣の54日間、羽田孜内閣の64日間に次ぐ、戦後3番目の65日間の超短命政権で幕を降ろしたのだった。 反骨精神に満ちた石橋が生涯を通じて主張した精神の片鱗は、大正10(1921)年に発表した「小日本主義」に見ることができ...

「歴代総理の胆力「石橋湛山」(2)最愛の息子の戦死」のページです。デイリーニュースオンラインは、石橋湛山週刊アサヒ芸能 2019年 12/5号内閣総理大臣小林吉弥太平洋戦争社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
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