博多華丸「いずれは福岡に帰って、朝のラジオをやりながら、週末は漫才をやるような生活ができたらいいなぁ」【人間力】インタビュー
僕らが福岡から東京に出てきたのは、僕と(相方の)大吉さんが35歳のときです。福岡ではレギュラー番組もいくつか持たせてもらっていたし、大吉さんは「あなたには奥さんも子どももおる。福岡でそこそこ生活できるのに、今さら東京に出なくても」と反対したんです。でも、僕は“1回は東京に出んといかん”と思ったんですよね。 当時、僕らは“九州のスター”とか言ってもらうこともあったけど、九州北部限定だったんですよ。...