大阪の陣、徳川家康は豊臣家を滅ぼす気はなかった!?【どうする家康】
関が原合戦直後、徳川家康は豊臣秀頼の存在を憚り、いろいろなことをするのに、少し遠慮していた様子があります。ところが、1603(慶長8年)に、家康が征夷大将軍に就任し、江戸幕府を開くと、一気に立場が逆転しました。その2年後、家康は秀忠に征夷大将軍を譲り、天下に徳川の世であることを知らしめました。 徳川家康像(狩野探幽画、大阪城天守閣蔵)wikipediaより 以後、家康は豊臣政権の諸権限を吸収し、幕府の体制を...
関が原合戦直後、徳川家康は豊臣秀頼の存在を憚り、いろいろなことをするのに、少し遠慮していた様子があります。ところが、1603(慶長8年)に、家康が征夷大将軍に就任し、江戸幕府を開くと、一気に立場が逆転しました。その2年後、家康は秀忠に征夷大将軍を譲り、天下に徳川の世であることを知らしめました。 徳川家康像(狩野探幽画、大阪城天守閣蔵)wikipediaより 以後、家康は豊臣政権の諸権限を吸収し、幕府の体制を...