凄い映像に壮大な物語! 映画の予告編ならそれもありかもしれませんが、ゲームのトレーラーでは上手くいかないかもしれません。なぜなら、ゲームは映画とは全くの別物だから。
ゲームやポップカルチャーのフリーランス・ライターとして活躍するケヴィン・ウォンさんによる寄稿を読んでみましょう。
最悪なゲームのトレーラーとはどんな内容でしょう?
それはきっと、美しいコンセプトアートのモンタージュがカットシーンに続くカットシーンの中に映し出され、トリッキーなアングルで微妙な表情の変化を映し......実際のゲームプレイは見せない類のもの。
想像するに、プロデューサーたちはトレーラーを見る私たちに、物語を通じてキャラクターに共感してもらいたいと思っているんだと考えられます。しかし、ゲームではそれは通用しません。
キャラクターたちがわずかなピクセルで描かれていたゲーム創成期だって、私たちはキャラクターに共感できました。それはプレイヤーがキャラクターを思い通りにコントロールできるから。もし自分の思い通りに彼らを操作できるなら、そのキャラたちは私たちのゲーム内でのアバター/分身です。その一対一の運動感覚を通じたつながりが、私たちの共感を誘うのです。
以下は素晴らしいゲームトレーラーの例。
シネマティックなシーンもありますが、それらはゲームプレイと一緒に映し出されています。ゲームのグラフィック表現を中心に据えたものではありません。任天堂は常にグラフィックよりもゲームプレイに重きを置いていますし、それはきっと正しい方向性でしょう。
このトレーラーの中心は「マリオに何ができるのか?」という点。