福岡県北部、北九州市の中心部に位置する「小倉城」。
古くからアジア諸国との交易で栄え、発展した国際貿易拠点だった小倉は重要な拠点として認識されていたため、戦国時代には何度も戦いの主戦場となり戦火に巻き込まれてきました。
そんな戦火によって作られた「新」の部分と戦火によって残った「旧」の部分とが混在する小倉の町と同様に、「小倉城」にも「新」と「旧」とが混在しています。
今回はそんな新と旧とが混在する、まるで歴史のテーマパークのようなお城、知られざる「小倉城」の魅力を3つご紹介します。
1. 全国唯一の「唐造り(からづくり)」 と「野面積み(のづらづみ)」の美しさは要注目
関ヶ原合戦の功労で小倉に入国した小倉藩主・細川忠興(ほそかわただおき)が、慶長7年(1602)に築城した「小倉城」。
約7年の歳月を経て築上した、まさに小倉のシンボル的な存在のお城です。
その藩主の細川忠興は「利休七哲」の一人、つまり茶人・千利休の弟子のひとりとして、能や茶道にも精通した文化人でした。
そんな文化人細川忠興が作った城の特徴の1つは、全国でも珍しい「唐造り(からづくり)」と呼ばれる建築様式が用いられた独特の天守閣。
4階と5階の間に屋根のひさしがなく、5階が4階よりも大きく膨らんでいます。
実は、小倉城の本丸は、天保8年(1837)に城内から発生した火災で全焼しています。
2年後に再建されましたが、幕末期の慶応2年(1866)には第二次長州征討の前線基地となり、戦線後退の折に小倉藩が自ら火を放ち城は再び焼失しました。