80年にカネボウのキャンギャルで注目され、その後、3本もの特撮作品でそれぞれに人気を博す。萩原佐代子(53)は、当時と変わらぬ奇跡の若々しさで思い出を語った。
「カネボウのオーディションを受けたことが、その後、次々と特撮ヒロインに結びつくなんて思ってもみませんでした」
甲斐バンドの「ビューティフル・エネルギー」がCMソングだった80年のカネボウサマーレディが萩原の出発点だ。オーディション時は16歳で、テレビでも中継されていた。
「それを円谷プロの方が観ていらして、元気そうな子だと印象に残ったそうなんです。それで石田えりさんが途中降板した『ウルトラマン80』(80~81年、TBS系)の代役に決まりました」
萩原の役は、記憶喪失で樹海をさまよっていた星涼子で、実はウルトラの星の王女・ユリアンの化身であった。
「1回だけ『80』がピンチの時にユリアンに変身して助ける場面もありました。まだ右も左もわからない頃でしたけど、このドラマとともに高校を卒業できたのはいい思い出です」
その2年後、やはりオーディション映像を目にした東映スタッフの推薦により「科学戦隊ダイナマン」(83~84年、テレビ朝日系)でダイナピンクこと立花レイの役に。撮影に備えてJACに入門し、トランポリンや体の回転のやり方などを学んだ。
そして、撮影が始まると“事件”が起こった。
「私に『よお佐代子、久しぶり』って声をかける人がいるんです。それが『80』でも一緒だった東條昭平監督でした‥‥」
東條は特撮界きっての鬼監督として知られ、「80」では主演の長谷川初範や石田えりに対しても容赦なかった。もちろん、新人の萩原も同様である。
「私、親にも言われたことないのに、ずっと『バカ!』って罵倒されたんですよ。ついに『私、バカじゃありません!』って言い返しました。