俺たちをトリコにしたオール「特撮ヒロイン」(6)「萩原佐代子・特撮界きっての鬼監督に罵倒され、ついに!」 (1/2ページ)

アサ芸プラス

俺たちをトリコにしたオール「特撮ヒロイン」(6)「萩原佐代子・特撮界きっての鬼監督に罵倒され、ついに!」

 80年にカネボウのキャンギャルで注目され、その後、3本もの特撮作品でそれぞれに人気を博す。萩原佐代子(53)は、当時と変わらぬ奇跡の若々しさで思い出を語った。

「カネボウのオーディションを受けたことが、その後、次々と特撮ヒロインに結びつくなんて思ってもみませんでした」

 甲斐バンドの「ビューティフル・エネルギー」がCMソングだった80年のカネボウサマーレディが萩原の出発点だ。オーディション時は16歳で、テレビでも中継されていた。

「それを円谷プロの方が観ていらして、元気そうな子だと印象に残ったそうなんです。それで石田えりさんが途中降板した『ウルトラマン80』(80~81年、TBS系)の代役に決まりました」

 萩原の役は、記憶喪失で樹海をさまよっていた星涼子で、実はウルトラの星の王女・ユリアンの化身であった。

「1回だけ『80』がピンチの時にユリアンに変身して助ける場面もありました。まだ右も左もわからない頃でしたけど、このドラマとともに高校を卒業できたのはいい思い出です」

 その2年後、やはりオーディション映像を目にした東映スタッフの推薦により「科学戦隊ダイナマン」(83~84年、テレビ朝日系)でダイナピンクこと立花レイの役に。撮影に備えてJACに入門し、トランポリンや体の回転のやり方などを学んだ。

 そして、撮影が始まると“事件”が起こった。

「私に『よお佐代子、久しぶり』って声をかける人がいるんです。それが『80』でも一緒だった東條昭平監督でした‥‥」

 東條は特撮界きっての鬼監督として知られ、「80」では主演の長谷川初範や石田えりに対しても容赦なかった。もちろん、新人の萩原も同様である。

「私、親にも言われたことないのに、ずっと『バカ!』って罵倒されたんですよ。ついに『私、バカじゃありません!』って言い返しました。

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