大学卒業後、まともに就職活動もせず、ふと見つけた広告に応募し採用され、現代美術ギャラリーで楽しく働く私に向かって、ある日母はこう言放ちました。
「あんたはきっと“いきおくれ”て、30過ぎで猫と一緒に1人暮らしするんでしょうね」と……。
しかし、人生には時に天変地異の如き出来事が降り掛かります。25歳で出会った彼と、次の日からおつきあいをスタート。半年後に妊娠、入籍する事に!
ドタバタの海外出産後、酷寒の地ボストンでの生活から、夫の就職を機に新天地カリフォルニアに住居を移した私たち一家、そして後陣痛と恥骨痛に苛まれた2人目出産。前回は、第2子を無事出産した安堵も束の間、母乳育児の苦労再到来をお送りしました。
今回は「額にブツブツ!? 水分補給も忘れ頑張りすぎる私」編をお送りします。
■母になることで手放す「私自身を構成していた何か」子育ての大変さは子どもの人数に比例する。これは真実であり、そうではないとも言えます。
子どもが生まれる前は深く考えずとも私は“私自身”でありました。しかし結婚して妻になり、子どもが産まれて母になる事で、かつての“私自身”を構成していた何かを、少なからず手放すことを要求されます。子どもが増えれば、その分また捨てる必要があります。
古いものを捨てた分、私たち親は、それまで見た事の無い種類の発見や、胸を熱くするほどの、あるいは心穏やかな幸せを得られます。そして新しい自分を獲得し、人生を充実させていくことができます。
しかし、手にしたものを捨てられず、放すものかとその両腕が頑なであればあるほど、子育ては大変になります。かつての私がそうでした。
■繊細な長女と新生児との新生活中学時代は陸上部でならし、身体が丈夫な私は産前も産後も健康そのものでした。ですから特に無理さえしなければ、穏やかで平和な毎日が続いていたはずでした。
しかし、自我が出てきた長女は、私のような頑固者の1人目の赤ちゃんとしては、なかなかに手強い相手だったのです。
長女はとても繊細な子です。