福岡県の犬鳴山の中にある幕末期の「旅人墓(どじんばか)」を調べてみた

| 心に残る家族葬
福岡県の犬鳴山の中にある幕末期の「旅人墓(どじんばか)」を調べてみた

日本全国津々浦々の田舎の山や森、林の奥には、倒れていたり、辛うじて屹立していても、ほとんど原形をとどめていない、草に覆われ、苔むした墓が存在する。時にそうした墓がある場所は、「幽霊が出る」「人魂を見た」「そこをたまたま訪れた人に、たたりがあった」などと噂が噂を呼ぶ「心霊スポット」となり、肝試しで夜中に訪ねて行く人が後を断たなかったりもする。今回はそのような古い墓所の事例として、福岡県の犬鳴山(いぬなきやま)の中にある、幕末期の「旅人墓(どじんばか)」を取り上げる。

■製鉄所で働く人の住居と製鉄所が作られた犬鳴山

犬鳴山とは、福岡市域とかつての筑豊炭坑地帯のひとつであった直方市のほぼ中間に位置し、福津市、宮若市、古賀市、糟屋郡新宮町、同久山町の3市2町にまたがる犬鳴山系の南側にある、およそ584mの山である。

江戸中期に国井大膳が著した地誌『犬鳴山』によると、「往昔ハ当山の諸木立茂る事如麻竹のして良材多し、白昼と云共山中昏闇、狩人の外往向人稀にして、猪鹿猿狼のミ多し」(原文ママ)という状況だった。
それゆえ犬鳴山は、初代福岡藩主・黒田長政が「国の納戸」と評していたほど、主に木材などの豊富な天然資源に恵まれた山だった。しかもそこでは幕末の一時期に、鉄の精錬が行なわれていた。
『犬鳴鉄山由来書』によると、幕末期の1854年には、山中に、福岡藩の主導により、たたら製鉄の先進地であった石見国(現・島根県)津和野から招聘された職人の住居12軒が建てられ、たたら場として大鑪(たたら)屋館(製鉄所)と大鍛冶場(鉄を精錬する職場)各1軒、鉄奉行役所・役所詰方役所各1軒が置かれていた。しかも大鑪屋館には、9×8間(16.3m×14.5m)の高殿(たかどの)、製鉄炉の地下には大規模な保温・防湿設備が設置され、天秤ふいごで送風した、当時では最新の製鉄法による操業が開始されていたという。

こうして精錬された鉄は、博多土居町釜屋深見惣右衛門に卸されていた。

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