福岡県の犬鳴山の中にある幕末期の「旅人墓(どじんばか)」を調べてみた (3/3ページ)

心に残る家族葬



■製鉄所で働く人達は差別されていた

中世期の日本を描いた宮崎駿によるアニメーション作品『もののけ姫』(1997年)の中に、たたら場の男が、「おれたちの稼業は山をけずるし、木を切るからな。山の主が怒ったてな」(原文ママ)と語るせりふがある。

歴史学者の笹本正治はこの言葉に着目し、鉄を作ることはそのまま自然を破壊することにつながった、だからこそ、自然の中に生きるもののけ姫が、彼らを敵視した。しかし同時に、砂鉄から鉄を生み出し、加工する職人たちは、自然に手を加え、人間にとって有用な別の物質を作り出すだけに、自然を司る世界と人間の世界をつなぐ、特殊な能力を持つ人でもあった。それゆえに彼らは聖視されたが、神仏や聖なるものに対する意識が減退する近世になると、少数者であるがゆえに差別の対象となったと指摘する。まさにこれらの、「旅人」とは相反する存在である近在の人々からの、たたらの民に対する聖と賎が混在した様相こそが、墓の名前が○○の墓、ではなく、「旅人墓」と呼ばれ続けていたことの最大の理由であろう。

犬鳴山の鉄山廃絶後、「旅人」たちはどこへ行ったのか。一説によると、たたら場の総責任者(村下)であった利右衛門は、1869年に真砂子鉄山に移動し、遠賀郡楠橋町(現・北九州市八幡西区楠橋)に住んでいた。しかし翌年、同僚の嘉平(嘉平次とも言われる)と共に、佐賀県の唐津に行ったとされる。しかしそれ以後の消息は不明である。

■最後に・・・

他者である我々は、自分の居住圏とは離れた場所にある朽ち果てた墓に「霊」「たたり」などの意味を付加し、恐がり、避けながらも、その恐怖を心のどこかで楽しむ傾向にある。或いは、そうした怪異の根源を精査したい衝動に駆られることもある。これらの情動は、皮肉にも、朽ち果てた墓が朽ち果てず、我々に忘れられず、記憶され続けることをも意味してもいる。

死者にとっては、永眠の妨げになったと、怒りに打ちふるえてしまうのか、それとも、よく忘れずに来てくれた、と歓迎してくれるのか、我々には知る由もない。とはいえ、最後のたたらの民・利右衛門や嘉平の墓こそは、犬鳴山の墓のように、「旅人墓」と周囲の人々に呼ばれ、怖がられながらも、忘れ去られ、朽ち果てたままの墓ではないことを祈るばかりである。

参考文献:筑前国続風土記附録、 続・部落史の再発見、 九州の山岳

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