【東日本大震災の悲劇】大川小学校裁判で原告が勝訴も"事実"はわからないまま

【東日本大震災の悲劇】大川小学校裁判で原告が勝訴も"事実"はわからないまま

 東日本大震災で児童74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校について、児童23人の遺族19人が宮城県と石巻市を相手取った訴訟で10月26日、仙台地裁(高宮健二裁判長)は、原告の主張を一部認め、県と市に14億円の支払いを命じる判決を言い渡した。判決では、津波襲来の予見性を認め、裏山に避難しなかったのは過失だとした。しかし、多くの遺族が求めていた「事実」は、わからないままだった。

 判決要旨によると、地震後、集まってきた地域住民の対応をしながら、ラジオ放送で情報を収集。午後3時半ごろまでに、従来と格段に規模の異なる大きな津波が三陸沿岸に到来し、大津波警報の対象範囲が拡大されたことを認識した。

 石巻市の広報車は、遅くとも午後3時半ごろまでに津波が北上川河口付近の松林を越えたことを告げて高台への避難を拡声器で呼び掛け、学校前の県道を通過した。教員らはこれを聞いていた。そのため、津波襲来の予見可能性を指摘している。

 その上で、被害を避けるために裏山に避難することができたのに、それをせずに、新北上川に近い、いわゆる「三角地帯」に避難場所を選択し、結果が児童や教職員が津波に巻き込まれた。裏山避難について「斜面の傾斜が20度を上回る場所はあるが、児童はシイタケ栽培の学習などで登っていた。避難場所とする支障は認められない」として、裁判所は過失と認めた。

 原告の思いの中で、「学校に責任がある」という点は、裁判所に通じたことになる。ただ、裁判で勝つこともさることながら、地震が起きて津波にのまれるまでの約50分間、どうして、なぜ避難が遅れたのか?が知りたいとも願った。そのため、当時、学校にいたものの、唯一生き残った教職員Aの証言を聞きたかった。しかし、心的外傷後ストレス障害となっていることを理由に、法廷に立つことはなかった。

 教職員Aは最大のキーマンだ。原告側は、検証委が証言を得られなかったことで、裁判という場に移して、チャンスを待った。が、裁判でも実現しなかった。心的外傷後ストレス障害を診断した主治医によってストップがかかっているからだ。

 教職員Aはこれまでにまったく証言してないわけではない。

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