古文書から紐解く巨大地震発生デー 第4弾

| 週刊実話

 平安時代に京都で編纂された歴史書『日本三代実録』には、このような記録が残っている。
 《貞観10年(868年)7月8日。播磨諸郡の官舎・諸定額寺の堂塔ことごとく倒れた。京都では垣屋に崩れたものがあった》
 播磨は現在の兵庫県西部。これは姫路市付近を震源とした、播磨国地震(M7以上)の様子だ。
 868年といえば、南海トラフ地震の一つに数えられる仁和地震(887年)の19年前にあたる。

 「南海トラフ地震の前には、内陸部で直下型の大地震が頻発することが分かっています。直近の南海トラフ地震である1944年(昭和東南海地震)と'46年(昭和南海地震)の直前にも北丹波地震や鳥取地震が発生したが、1000年前にも同じようなことが起こっていたのです」
 こう語るのは、地震学が専門で武蔵野学院大特任教授の島村英紀氏。

 歴史は繰り返されると言うが、日本の地震史についても、これが当てはまるというのだ。
 「南海トラフ巨大地震が発生する前に内陸部で直下型地震が起きる理由には、太平洋側のフィリピン海プレートからの強いプレッシャーがあります。それにより、日本列島側のユーラシアプレートの弱い部分が耐え切れなくなり、悲鳴を上げ続けているということ。このことは、昨年4月に起きた熊本地震についても言えるのです」(サイエンスライター)

 『日本三代実録』には、播磨国地震の翌年に起きた、貞観地震の模様も克明に描かれている。この地震は“1000年前の東日本大震災”と呼ばれ、三陸沖を震源とした巨大地震だったという説がある。
 《5月26日癸未の日、陸奥国で大地震が起きた。(空を)流れる光が(夜を)昼のように照らし、人々は叫び声を上げて身を伏せ、立つことができなかった。ある者は家屋の下敷きとなって圧死し、ある者は地割れに呑まれた。驚いた牛や馬は奔走したり互いに踏みつけ合い、城や倉庫・門櫓・牆壁などが多数崩れ落ちた。雷鳴のような海鳴りが聞こえて潮が湧き上がり、川が逆流し、海嘯が長く連なって押し寄せ、たちまち城下に達した》

 この城とは、現在の宮城県にあった多賀城のことだ。さらに『三代実録』は、被害の様子を生々しくもこう伝えている。
 《人々は叫び、倒れた人は起き上がることができない。

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