古文書から紐解く巨大地震発生デー 第4弾 (2/5ページ)

週刊実話

家が崩れ圧死したもの、地滑りや地割れで生き埋めになったもの。その被害の多さは数えることができないほどだ。(中略)荒れ狂う海は渦巻きながら膨張し、巨大な波はまたたくまに城下を襲う。野も道もすべて水の中。船で逃げることも、山に登ることもできない。溺死したものは一千人》

 兵庫、東北地方を立て続けに巨大地震が襲い、今度は南海トラフに舞台を移してM8.5前後の規模とされる仁和地震が発生する。続けて『日本三大実録』の記録を見てみよう。
 《午後4時頃に大地震が起き、数刻をへても震動が続いた。(中略)役所の倉屋および東西京の民衆の家は、相当部分が、転倒・倒壊し、その下になって殺されたものが多い。あるいは失神して頓死したものもある。10時ごろにまた地震が三度。全国でも、この同日に大地がおおいに震えた。官舍が多く損壊して、海潮が陸に漲ってきて、その津波によって溺死したものは数えることができないほどである》

 地震が頻発する時代を見ると、やはり南海トラフ沿いの超巨大地震の合間に、直下型の大地震が発生していることが分かる。
 島村氏はこう続ける。
 「阪神・淡路大震災も、後から考えると、フィリピン海プレートが押してきたことによるもの、つまりフィリピン海プレートが起こす海溝型地震の先駆けとして発生したと考えられるかもしれない。南海トラフ地震は分かっているだけで13回起きているが、やはり、その合間には西日本で直下型の大地震が発生しているんですよ」

 1995年1月17日未明、淡路島北部沖の明石海峡の地下約16キロを震源とする阪神・淡路大震災が発生し、負傷者4万3000人以上、死者も6400人を超えた。
 「地震規模はM7.3で、震度7を記録。淡路島の西北に位置する北淡町では、地震によって野島断層が出現した。この断層に沿って地面が1メートルから2メートルも横にずれ、山沿いの地面も50センチから1.2メートル隆起したほどです。

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