東洋のシンドラー・杉原千畝の足跡が残る場所、リトアニアの「杉原記念館」

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東洋のシンドラー・杉原千畝の足跡が残る場所、リトアニアの「杉原記念館」

「東洋のシンドラー」と称される外交官、杉原千畝(すぎはら ちうね)。第2次世界大戦下、ホロコーストの嵐が吹き荒れるなか、彼が発給した「命のビザ」によって、6000人ものユダヤ人が命を救われました。

日本国の命令に背いてまで正義を貫いた杉原千畝の足跡は、「杉原記念館」として現在もリトアニア第2の都市で、当時の首都であったカウナスに残っています。

杉原千畝がリトアニアの在カウナス日本領事館領事代理に着任したのは、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が激しさを増していた1939年のことでした。

日本領事館の退去が求められていた1940年7月、カウナスの日本領事館前に突如として人だかりができます。彼らはナチス・ドイツの迫害から逃れるために、ポーランドからリトアニアにやってきたユダヤ人。

当時、もはやヨーロッパにはユダヤ人が安住できる場所はなく、彼らに残されていた希望は、シベリアを経由して日本を通過し、アメリカやカナダ、オランダ領のキュラソー島などに避難することでした。それを実現するためには、どうしても日本の通過ビザが必要だったのです。

杉原千畝は本国に電報を打ち、救いを求めるユダヤ人たちへのビザ発給の許可を求めました。

ところが、何度打診してもその答えは「否」。

ドイツと同盟関係にあった日本がユダヤ人の避難を支援すれば、ナチス・ドイツに対する敵対的行為とみなされてしまうため、外務省の回答はある意味で当然でした。

ナチス・ドイツの魔の手が刻一刻と迫るなか、日本の通過ビザを手に入れられなかったユダヤ人たちに悲惨な運命が待ち受けているであろうことは、火を見るよりも明らかでした。

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