新年早々の訃報に球界とプロ野球ファンが打ちのめされた。闘将・星野仙一氏が、膵臓ガンとの闘病の末、無念にもマウンド上から去ってしまったのだ。余命90日を宣告されながら周囲の誰にも悟られずに闘った「燃える男」の最期を盟友が明かす。
「最後に話したのが、昨年10月のことでした。私が仕事で岡山にいる時、たまたま仙ちゃんも福岡で仕事だと聞きつけ、『そっちで会おうか』と電話したら、『おお、来るのはかまわんが、忙しいんだよ』と言うので遠慮したんです。11月末の野球殿堂入りパーティーも招待状をもらいましたが、私が体調を崩して行けなかった。まさかそのまま、今生の別れになるとは‥‥」
そう悔恨の情を語るのは、民間療法の治療院を全国展開する「ジョイフルグループ」会長で、先の1月4日に70歳という若さで急逝した星野仙一氏と20年来のつきあいがあった高山右近氏である。
今は亡き盟友との出会いを、高山氏が振り返る。
「仙ちゃんが『お母ちゃん』と呼んで慕っていた女性支援者の方に引き合わせてもらったんです。まだ中日の監督時代でした。私が仙ちゃんの1つ年下で、趣味も合ったもんだから意気投合しまして」
星野氏が03年に阪神監督を退任し、10年に楽天監督に就任するまでの間は、特に友情を深め合ったという。
「当時は自宅のある関西から、だいたい週に2回くらいテレビ出演や会食で上京してきたんです。そうすると、定宿のホテルオークラに呼び出されてね。私の知り合いの不動産業者や、星野仙一のファンだという財界重鎮など、毎回いろんな人とお茶会したり酒を酌み交わしたりしましたよ。楽天に行って以降はかなり忙しくされていて、以前ほど頻繁に会うこともなくなりましたが、それでも2~3カ月連絡しないと、向こうから『お前、冷たいやつやのう!』と電話してきてくれるような、友人を大事にする人情家でした」(高山氏)
一方で、監督を歴任してきた星野氏は、鉄拳制裁も辞さない熱いイメージとは裏腹に、体調面での不安を常に隠し持っていた。
「中日監督時代から糖尿病、高血圧症などの持病を患っていたのは有名です。阪神監督を退任したのも健康上の理由からだった。