プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「秋山準」“王道復活”の鍵を握る男

| 週刊実話

 昭和プロレス史を形作ってきた全日本プロレス。2000年のノア勢大量離脱以降は経営不安からの離合集散を繰り返してきたが、ここに来て上昇傾向に転じている。
 “王道復活”のキーマンとなるのが秋山準だ。
 「全日本プロレスといえばジャイアント馬場」とのイメージを持つ人は今も多いだろうが、実際のところはどうなっているのか。

 紆余曲折あって、社名は『オールジャパン・プロレスリング株式会社』と横文字に変わっているが、れっきとした全日の正統後継団体であり、その社長を務めているのが秋山である。
 1992年、専修大学卒業前に全日への入団を決めた秋山。一般企業に就職する予定でいたが、馬場直々の誘いを受けたことがプロレス入りへの後押しになったという。
 輪島などの転向組を除く純粋な新人としては、全日においてジャンボ鶴田以来となる入団会見が開かれ、秋山への期待の高さをファンや関係者に印象付けた。
 「馬場としてはライバルの新日本プロレスが、'91年に発足させたレスリング部門『闘魂クラブ』を意識した部分も大きかったでしょう。同部門にはバルセロナ五輪出場を決めていた中西学をはじめ、全日本選手権優勝の永田裕志、石沢常光(のちのケンドー・カシン)らがいて、アマチュア実績で比べると学生選手権準優勝が最高の秋山では分が悪い。しかし、専大レスリング部で主将を務めた人間性や精悍なルックスから、将来性では新日のアマレスエリートたちに劣らないと判断し、売り出しを図ったのでしょう」(スポーツ紙記者)

 それもあって秋山は、入団初年から暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦に出場するなど異例の抜擢を受け(病気療養で欠場した鶴田の代役でパートナーは田上明)、'95年には同期入団の大森隆男とのコンビで、伝統あるアジアタッグ選手権も獲得する。
 田上、三沢光晴、川田利明、小橋建太(当時・健太)の“四天王”に次ぐ存在として、マスコミやファンからは“五強”と目されるまでになっていった。
 ただ、この頃の秋山自身は、四天王との実力差、経験不足を如実に感じていたという。

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