紙芝居屋の意外な歴史【1】ルーツは江戸時代の幻灯と、明治・大正時代の紙人形芝居

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紙芝居屋の意外な歴史【1】ルーツは江戸時代の幻灯と、明治・大正時代の紙人形芝居

『昭和時代の娯楽の王様だった紙芝居屋のおっちゃんはいったい何者だったのか?』でご紹介したように、紙芝居屋は飴売りの末裔といえる存在です。しかし直系の子孫とはいい切れません。なぜこんな曖昧な表現になるかというと、紙芝居屋という商売が成立するまでの道のりが、少々複雑だからです。

商人であり芸人でもある紙芝居屋は、いくつもの源流を持っていました。その流れが集約し、今の姿になるまでの歴史を遡ってみましょう。

紙芝居の成り立ちについては諸説ありますが、今回は戦前・戦後を通じて作者として紙芝居業界に深く関わった「加太こうじ」の説を中心にして、その歴史を見ていきます。

祭りの晩に現われた、まぼろしの「元祖紙芝居」

場面ごとの絵を見せながら物語を語る、おなじみの紙芝居の形式が生まれたのは昭和5年。その年のうちに『黄金バット』が登場し大ブームを巻き起こしたことで、子供向けの娯楽としての紙芝居は定着します。つまり昭和5年が紙芝居誕生の年……というわけではありません。

紙芝居は昭和5年に突如現れたわけではなく、前身となる芸能がありました。それは「紙芝居」。まったく同じ名前ですが、現代のそれとは形式が異なります。明治後期に成立し、大正時代から昭和初期まで祭りの見世物として東京近郊で人気を集めました。実は、これこそが元祖紙芝居だったのです。明治・大正・昭和の3つの時代をまたぎながら約30年で消えた、まぼろしの紙芝居ともいえるものでした。

いったいどんなものか、一言で表すと「紙人形による芝居」ということになります。竹串などの棒の先にキャラクターの絵を張りつけ、語りに合わせて動かすというものです。

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