紙芝居屋の意外な歴史【1】ルーツは江戸時代の幻灯と、明治・大正時代の紙人形芝居 (3/4ページ)
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紙芝居
他に表現方式として「絵解き」や「のぞきからくり」の影響も考えられるなど、諸説あるものの、この写し絵が紙芝居の直系の先祖であるというのが通説になっています。写し絵と紙芝居は、全く違う芸能と感じるかもしれません。しかしどちらも「移り変わる絵に語りを乗せて、物語を表現する」という点は共通しています。
「紙芝居」誕生!しかし不評でいきなりピンチ!不思議なのは、どうやって写し絵から紙芝居へと変化したかということですね。発端は、明治中期に映画の登場によって写し絵が衰退したことでした。やがて興行から撤退する写し絵師も出てきます。困ったのは職を失うことになった裏方たち。その中の一人、写し絵の原画を描いていた「新さん」という人物が一計を案じ、ニュータイプ写し絵を開発します。
もともと写し絵は、手間と人手がかかるという難点がありましたが、それを一人で演じられるよう改良したのです。簡略化することで写し絵を残そうとしたと考えられます。そしてたどり着いたのが、「ガラスに描いた絵を映写する」のではなく「紙に描いた絵を、手に持って操作する」という技法でした。
ところが、このニュー写し絵は、寄席での評判は芳しくなかったようです。衰退したとはいえ写し絵は江戸っ子に愛された芸能。観客はスクリーンに映る幻想的な世界を期待しています。ところが見せられたのは紙人形の芝居。「思ってたのと違う!」と憤る客の気持ちもわかります。
しかしテキヤ(香具師)の「丸山善太郎」は、これに商機を見出しました。丸山は新さんと組んで、祭りや縁日で演じる新しい興行を生み出します。テント小屋の立絵紙芝居です。
こうした流れがあるため、紙芝居は当初「写し絵」を名乗っていました。しかし観客はもっぱら「紙芝居」と呼んだため、いつしかそれが正式名称になりました。意外な形で紙芝居という呼び名は誕生したのです。
