女性の宮仕えは玉の輿への道!?平安女流歌人たちのシンデレラストーリー

| Japaaan
女性の宮仕えは玉の輿への道!?平安女流歌人たちのシンデレラストーリー

一般的には好ましくないとされていた「宮仕え」。しかし・・・

宮中に仕えた女房たちの中には、後の日本文学史に残る名作を残した女性が数多くいます。しかしこの時代は、一般的には「高貴な女性が夫以外の男性に顔をさらすなんて、はしたない」とされた時代。例えば、高貴な姫君が父親に死なれて宮仕えに出ることは「転落」「零落」を意味していました。

また清少納言が『枕草子』の中に
「宮仕えする女房に対して『尻軽で良くない』という偏見を持つ男は、本当に憎らしいわよね」

という内容を書いていることから、この時代に多くの男性に顔をさらしながら働く女房は「尻軽で大切に扱うには及ばない」と軽蔑され、貴族の男性から遊ばれて捨てられることも多かったことが分かります。

しかしそんな中、宮仕えをきっかけに高位の男性に見初められ、「平安時代のシンデレラ」となった女性たちもいました。

受領階級の娘から天皇の寵愛を受け、皇子を産んだ「伊勢御息所」

女流歌人としても知られる伊勢は、宇多天皇の中宮・藤原温子に仕えた女房です。『小倉百人一首』の第19番目に

難波潟 みじかき芦の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや

という歌が入っているので、ご存知の方もいるのではないでしょうか。

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