女性の宮仕えは玉の輿への道!?平安女流歌人たちのシンデレラストーリー (2/3ページ)
佐竹本三十六歌仙絵巻より/Wikipedia-伊勢(歌人)
彼女の父は伊勢守を勤めた藤原継蔭(つぐかげ)だったため、父の官名から「伊勢」という女房名で呼ばれましたが、後に宇多天皇の寵愛を受け皇子を産んだため「伊勢の御」または「伊勢御息所(みやすどころ/天皇の子を産んだ女官のこと。皇后・中宮の下位)」と呼ばれるようになりました。
残念ながらその皇子は早世してしまいましたが、その後彼女は宇多天皇の別の皇子である敦慶(あつよし)親王と結婚し、娘で後に歌人としても知られるようになる中務(なかつかさ)を産んでいます。
清少納言の主人・皇后定子の母「高階貴子」清少納言が仕えた皇后定子の母親も、宮仕えによって高位の夫と出会った女性でした。『小倉百人一首』の第54番に
忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな
という歌を採り上げられた儀同三司母こと高階貴子は、「男心などあてにはならない」と娘の将来の自立の道を考えた父の意向もあり、漢詩文の素養などを生かして宮仕えをするようになりました。