紙芝居作家として歩み出した水木しげる。ところで紙芝居作家の仕事とはどのようなものだったのでしょうか。漫画やアニメとは似て非なる、紙芝居の制作工程を整理しておきましょう。
前回の記事はこちら。
紙芝居の作り手を紹介する際、わかりやすいように「紙芝居作家」と一言にまとめることが多いのですが、厳密には紙芝居は「作家」「画家」「着色」の3つのセクションに分かれて制作されていました。
作家は脚本を書く、画家は線画を描く、着色は線画に色を塗るのが仕事です。中には3つの作業を1人で行なう画家もいて、これを「丸仕上げ」といいました。加太こうじは丸仕上げで、水木しげるも作画から始めてすぐ丸仕上げに移行したようです。『鬼太郎』も脚本から水木が制作しています。
紙芝居舞台と拍子木
かつて、『ハカバキタロー』という紙芝居があったさて、紙芝居を書き始めて3年ほど経った昭和29(1954)年のことです。水木は水木荘を手放します。もともと前の持ち主の借金が残る曰く付きの物件だった上に、怪しい住人ぞろいだったアパートをうまく経営できず、きれいさっぱり売り払ったのです。
少ない家賃収入もなくなり、いよいよ紙芝居だけが生活の糧になりました。