ゲゲゲの鬼太郎の原型! 幻の紙芝居「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【2】 (3/5ページ)
ついに鬼太郎誕生
鬼太郎の誕生に話を戻しましょう。『ハカバキタロー』のあらすじを聞いた水木しげるは、「ちょっと古くさいな」と思ったそうです。20年前の作品ですから仕方ないことですが、水木はそれで終わらず「よし、ハカバキタローを今風の筋に変えよう」と思いつきました。
鈴木も「こういう不況の時代は因果ものがあたる」とすすめたといいます。
こうして書き始めたのが、紙芝居版『墓場鬼太郎』です。漢字表記では「“奇”太郎」だったのを「“鬼”太郎」に変えました。
「え、いいの?」と思われるかもしれません。しかし紙芝居では、過去のヒット作を他の作家が書き直すことは珍しいことではなかったのです。
おおらかな時代なんて言いますが、当時の著作権の感覚は現代とは違いました。かの有名な『黄金バット』も作者が何人もいます。加太こうじは、戦後になって復活した『黄金バット』を書くようになりました。
そんな中でも、水木の『墓場鬼太郎』にとって『ハカバキタロー』は、重要な原型ではあるが別の作品といえるものでした。「墓場で生まれた」「母が幽霊」などの基本設定を『キタロー』『飴屋の幽霊』から受け継ぎながら、世界観は異なるものになっています。キタローは異形の者ではあるが妖怪ではない、という点も大きな違いでしょう。
そうなった原因の一つは、水木が『ハカバキタロー』の実物を見ていなかったためだと考えられます。『ハカバキタロー』は昭和8~10(1933~1935)年に大ヒットしますが、水木の故郷までは届いていなかった可能性が高いのです。
その頃の紙芝居は印刷されない「一点もの」でした。