ゲゲゲの鬼太郎の原型! 幻の紙芝居「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【2】 (4/5ページ)
たった一つの原本を貸元が管理し、紙芝居屋たちに貸し出していました。テレビのように全国すべてに行き渡らせることは難しかったわけです。
そして昭和12(1937)年頃から、ブームを過ぎた紙芝居の原本は倉庫に保管されるようになりました。ところが昭和20(1945)年4月、その倉庫が空襲によって焼失してしまいます。『黄金バット』などとともに『ハカバキタロー』も灰になりました。
そんなわけで水木は、『ハカバキタロー』をコピーしたかったとしても出来ませんでした。そのかわり骨組みだけ借り、自由に発想を広げることが出来ました。自然とそこに、水木個人の妖怪への思いや人生経験が盛り込まれ、ほぼオリジナルの鬼太郎のキャラクターが形作られていきます。
やがてテレビ放送が始まり紙芝居が衰退した昭和32年、水木は東京へ移り、貸本漫画家の道を進みます。このとき加太こうじが下宿を紹介するなど面倒をみました。『墓場鬼太郎』を漫画化にする際は伊藤正美の諒解を得ています。
その後少年漫画誌での連載が始まり、『ゲゲゲの鬼太郎』としてアニメ化され国民的作品となったことは、みなさんご存じの通りです。