「吾輩は猫である」の猫の墓もある!夏目漱石ゆかりの早稲田にある漱石山房記念館に行ってみよう!

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「吾輩は猫である」の猫の墓もある!夏目漱石ゆかりの早稲田にある漱石山房記念館に行ってみよう!

「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」で知られる、文豪・夏目漱石。

彼が生まれ、その生涯を閉じたのが東京・早稲田であることはご存知でしょうか?漱石が晩年を過ごした家の跡地には、現在「新宿区立漱石山房記念館」が建っており、彼の生涯や所縁の品々を見ることができます。

今回は夏目漱石の生涯と、彼が晩年を過ごした場所に建つ「漱石山房記念館」をご紹介します。

作家になる前は英語教師だった漱石

夏目漱石は慶応3年(1867)、江戸牛込馬場下町横(現在の新宿区喜久井町)に生まれました。両親が高齢だったため、生後まもなく、養子に出されます。しかし養子に出た先の夫婦の離婚により、21歳の時に夏目家に復籍しました。

17歳で帝国大学(現・東京大学)の英文科に入学。在学中に優秀な成績を修め、特待生に選ばれました。在学中から東京専門学校(現・早稲田大学)で英語教師になり、卒業後は愛媛県の中学校や、熊本県の高校で教えていたこともありました。作家として有名な漱石ですが、作家になる前は英語教師だったなんて、ちょっと驚きですよね。

33歳の時には、国からの指示で、英語研究のためにイギリス留学をします。もともと神経衰弱に罹っていた漱石ですが、慣れないイギリスでの生活が祟り、『夏目、狂せり』という電報が送られるほど、症状が悪化していました。

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