「吾輩は猫である」の猫の墓もある!夏目漱石ゆかりの早稲田にある漱石山房記念館に行ってみよう! (2/3ページ)
帰国後も症状に悩まされますが、雑誌『ホトトギス』を発行していた高浜虚子に「小説でも書いてみないか」と誘われます。そして、38歳の時に処女作にして、あの有名な『吾輩は猫である』を発表。これが大ブームとなり、その後も『坊ちゃん』や『倫敦塔』を発表し、作家としてのキャリアを歩んでいきます。
40歳の時に、それまで住んでいた千駄木から早稲田の家に引っ越します。この家が、多くの文豪が訪れ、数々の名作が誕生した「漱石山房」です。漱石は49歳で亡くなるまでに、この家で執筆活動を続けました。
漱石が晩年を過ごした「漱石山房」に行ってみよう!漱石が実際に住んだ「漱石山房」は1945年の空襲で焼失してしまいましたが、2017年にその跡地に「新宿区立漱石山房記念館」がオープンしました。それでは、「新宿区立漱石山房記念館」に行ってみましょう!
まずお出迎えしていただいたのは、漱石の胸像!
右に書かれている「則天去私」とは漱石の造語で、彼の理想の境地。「小さな自分に囚われるのではなく、その身を大きな自然の流れに任せて生きていく」という意味です。
1階には「漱石山房」にあった漱石の書斎を再現した展示が。
再現に使用されている本や複製品は、実際に漱石が所持していた原資料をもとに製作されたものです。漱石ファンにはたまらない展示ですね!
1階は無料展示で、漱石の生涯や家族の紹介となどをパネルや映像で知ることができます。

