じめじめとした天気の続くこの頃ですが、じめじめに加えてぞくぞくしてしまいそうな、ちょっと怖い日本の髑髏のお話をご紹介します。
がしゃどくろ野原で戦死したり、野垂れ死にしてそのまま埋葬されることもなく骸骨となってしまった人々の恨みから生まれた妖怪を、「がしゃどくろ」と言います。
がしゃどくろは巨大な髑髏の形をしており、夜になるとガチガチと音を立てて辺りをさまよい、生きている者がもし出くわしてしまうと、握りつぶされて食べられてしまうといいます。
がしゃどくろのイメージとして、歌川国芳の代表的な浮世絵「相馬の古内裏」に登場する巨大な髑髏が定着しています。(※実際にはがしゃどくろではない)
歌川国芳「相馬の古内裏」Wikipediaより
……と長々ご紹介してきましたが、実はこのがしゃどくろの存在が語られるようになった歴史は意外に浅く、昭和の後半に登場した妖怪でした。
日本において髑髏が出てくる古い資料の一つには、「日本霊異記」があります。「日本霊異記」とは、日本最初の仏教説話集です。
正式名は「日本国現報善悪霊異記」といい、著者は南都薬師寺の僧・景戒(きょうかい)とされています。弘仁13年(822)頃に成立し、上中下巻3巻116話からなっています。この日本霊異記の下巻の中に、「どくろの恩返し」の物語があります。
備後に住む牧人が買い物に行く旅の途中で竹原のところで一泊したところ、夜中に「目が痛い」という声を聴いて眠れなかった。その翌朝、野ざらしになった髑髏を見つけたが、眼窩を貫くようにタケノコが生えてしまっている。
牧人はその髑髏からタケノコを抜いてやり、持っていた食べ物をお供えした。すると帰り道でその髑髏が生前の姿で現れ、牧人にお礼を言って恩返しをするとともに、自分を殺した者を告発した。
出典:Wikipediaより
この説話に登場する髑髏は、恐ろしい「がしゃどくろ」のイメージとはかなり異なっていますよね。仏教説話集だけに多少の説教臭さも否定はできませんが、もしかすると、古代の日本では、髑髏は恐ろしいというイメージよりかは、同情の対象であったり、悲劇の象徴であったのかもしれません。
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