いつの時代も憂国慨世(※1)の士はいるものですが、そういう人物に対して水を差す者も少なくありません。
「しょせん君一人が何をしようがすまいが、結局この世はなるようにしかならないよ」
「そんな辛気臭いことより、もっと楽しいことを考えよう。まぁ『どうにかなる』さ」
……そう言われてしまうと、何だか熱くなっている自分がえらく野暮ったく思えてしまい、そのまま空気に流されてしまう方が大半かも知れません。
しかし、そんな中でも信念を曲げない男たちも確かにいました。
横須賀・ヴェルニー公園にある小栗上野介の胸像。
今回はそんな一人、幕末に活躍した小栗上野介忠順(おぐり こうずけのすけただまさ)の名言&エピソードについて紹介したいと思います。
(※1)ゆうこくがいせい。社会の行く末を案じて義憤に燃えること。
小栗上野介の生涯を辿る小栗上野介忠順は文政十1827年6月23日、江戸で旗本・小栗忠高(おぐり ただたか)の子として誕生。幼名は剛太郎(ごうたろう)、元服して忠順(ただまさ)と名乗り、17歳で幕臣として徳川将軍家に仕えました。
若い頃から文武両道の士として抜擢されますが、才能に驕ってか歯に衣着せぬ言動が同僚や上司に疎まれることも間々あったようです。
しかし、それでも真摯に奉公する忠順の至誠は多くの者から評価され、次第に声望も備わっていきました。