渋すぎる!平隊士の身分を貫いた新選組の”仕事人”蟻通勘吾の美学【上】

| Japaaan
渋すぎる!平隊士の身分を貫いた新選組の”仕事人”蟻通勘吾の美学【上】

幕末の京都を闊歩して、過激派尊攘浪士たちを取り締まった新選組(しんせんぐみ)。

局長の近藤勇(こんどう いさみ)や「鬼の副長」土方歳三(ひじかた としぞう)をはじめ、個性派揃いな主要メンバーの活躍はよく知られるところですが、最大で200名以上もいた新選組は、そのほとんどが名前もよく知られていない平隊士で構成されていました。

そう聞くと、中には「新選組と言っても凄いのはごく一部で、多くの隊士は大したこともなかったのだろう」と思ってしまう方もいるでしょうが、世の中必ずしも「有名じゃない=凄くない」訳ではありません。

そこで今回は、古参かつ歴戦の勇士でありながら平隊士の身分を最期まで貫いた、ある隊士たちの生涯を追っていきたいと思います。

結成初期の壬生浪士組(新選組)へ入隊

彼の名は蟻通勘吾(ありどおし かんご)。天保十1839年に讃岐国高松(現:香川県高松市)で生まれ、新選組へ入隊したのは壬生浪士組(みぶろうしぐみ。新選組の前身)結成から間もない文久三1863年6月、当時25歳と言われています。

新選組への入隊を果たし、血気盛んな勘吾(イメージ)。

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